2500年前の「論語」だからこそ学べる人間の本質 いつの世になっても変わらない身と心の正し方
「真(ま)っ直(す)ぐな政治家というと、衛の国の史魚がまず思い浮かびますね。彼は、国の政治が混乱していようと、あるいはきちんと行われていようと、いつも、自分の考えをストレートに発信していました。それは、政治家としてとても大切な資質です。同じように、尊敬すべき政治家というと、蘧伯玉が第一でしょう。
彼は、君主がきちんとした政治を行っていれば、ちゃんとお仕えし、君主がとんでもないことをやるようになったら、あっさり職を辞してひっこんでしまいました。それもなかなかできないことですね」
「信用できる友人だと思ったら、ほんとうのことを言ってあげなさい。さもないと、そうか信用されていないんだなあと思われ、友を失うことになってしまうから。その逆で、信用できない人に、ついうっかりなんでもしゃべったりしてはいけません。大切なことほど、そいつはぺらぺらしゃべるでしょう。
その結果、とんでもないことになってしまう。いわゆる『失言』は、ここでのわたしのことばから来た熟語なんですよ。友だちもなくさず、おかしな失言もしない、そういう人を『知者』というわけです」
理想のために命を惜しまない人とは
「高い志(こころざし)を持った人間、それから、人間として正しく生きる道をきわめた人間は、命が惜しいからといって、自分の理想を捨てることはしません。たとえ命を失おうと、理想を実現させようとするでしょう。そういうものなんです」
子貢がセンセイに質問をした。
「センセイ、『仁』を身に付けるのにはどうしたらいいでしょうか」
「そうだね。大工がいい仕事をしようと思ったら、まず、道具を磨き、きちんと整備するでしょう。『仁』もまったく同じです。自分を磨いてくれる立派な先生を見つけて教えてもらい、やはり自分を磨いてくれるような、同じ志の仲間を見つけて切磋琢磨(せっさたくま)する。それしかないでしょうね」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら