2500年前の「論語」だからこそ学べる人間の本質 いつの世になっても変わらない身と心の正し方
「君子」だって悲惨な目にも遭う
衛の霊公がセンセイにこんな質問をしたことがある。
(編集部註:高橋氏は、孔子のことを、親しみをこめて「センセイ」と呼んでいる)
「失礼ですが、センセイは、軍事についてはお詳しいですか?」
すると、センセイはこうお答えになった。
「わたしは、祭祀(さいし)やさまざまな文化については学んでまいりましたが、軍事や戦争については学んでおりません」
そして、そういった後、翌日には衛の国を立ち去ってしまった。おそらく、センセイは、衛の王様の言動に帝国主義的侵略欲を感じ、そんなことに協力させられてはたまらない、と思ったのかも。
さて、衛の国を出たセンセイ一行は、今度は招待されていた楚(そ)の国を目指した。それを聞きつけた陳の国では、センセイの力で楚がこれ以上強くなったらヤバいとばかりに、軍隊を派遣してセンセイ一行を包囲した。たちまちセンセイたちは、食事にも事欠くようになったのである。門人たちの中には病気になって立ち上がることもできない者まででた。イラついた子路は、つい、センセイに当たり散らしてしまった。
「なにが『君子』ですか。このざまじゃしようがないですよ!」
「『君子』だって人の子です、悲惨な目にだって遭いますよ。そういうとき、ジタバタと取り乱すのが『小人』ね。子路、慌てない、慌てない」
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