凡人の「才能」をみるみる開花させる4つの心得 「天才」と呼ばれる人はいったい何が違うのか
3、経験を盲信しない
過去の天才の例を見ていると、天才の思考プロセスには、分野にかかわらず共通する特徴があることに気づく。天才の思考は、いくつもの領域やアイデアをジグザグ状に横断する。多様な角度から問題にアプローチする。ある点から別の点へとわかりやすい軌跡をたどることもない。
コーネル大学出身の物理学者アレックス・コーウィンは、ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンの講義を受けたことがあるという。
コーウィンの話によれば、ファインマンの大発見はどれも偶然から生まれたそうだ。今ではごく単純に見えるそれらは、ファインマンが証明するまで誰も予想できなかった。証明そのものは明快で美しいが、存在が明らかではなかったのだ。ファインマンでなくてはその解にたどり着けなかったはずだ。「ファインマン先生には、誰にも見えないものが見えたんです」とコーウィンは言った。
「小さく単純にするには、天才の力が必要だ」
イノベーションの詳細について初めて聞かされると、専門家はたいてい額を打って、「ああ、そのとおりですね!」と言う。でも、そのつながりを見抜くのは天才だけだ。存在が明らかになるのは、それが説明された後にすぎない。天才の発見は、単純であるという意味では美しいが、単純だから明らかとは言えないのである。
「どんな愚か者でも、物事を大きく複雑にはできる」と、経済学者のエルンスト・シューマッハーは言った。「だが小さく単純にするには、天才の力が必要だ」
物理学者のマレー・ゲル=マンは、それがただ「美しいから」という理由で、先に発表されていた実験結果と矛盾しているのを知りつつ、ある数式を発表した。ところが、先の実験のほうが間違っていたとわかり、その数式でゲル=マンはノーベル賞を受賞した。
アインシュタインも、自分の数式は正しいから美しいのか、それとも美しいから正しいのかをよく考えた。数式の美しさに惑わされて、正しくないものを正しいと思わないようにしていた。問題に直面すると、大半の人は過去に学んだことを思い返し、今起きている問題と似たものがないかを探す。関連する経験を探り出して、それをガイドに問題を解決しようとする。
教育の専門家は、このよくある思考プロセスを「ヒューリスティック思考」と名付けている。すばやく簡単に判断できるので、ほとんどの場合は役立つが、一方で似たような経験の積み増しになり、発展性に欠ける面もある。ところが天才は、過去の経験が照らす光を超えて思考する。彼らは、経験の光が投げかける明るさに頼らない。天才とは、そうした光の外側にある世界を夢想する人々なのだ。