認知症介護で崩壊寸前の家族を救ったきっかけ 介護にマニュアルなし!介護から「快護」へ
私は尚代さんに、介護を「快護」にする秘訣を尋ねた。すると「相手(修一さん)の身に自分を置き換えて感じること」と言った。
「この人は金融関係の仕事をしてきて、基本的に人と関わるのが好きでした。デイサービスに行っても最初はしゃべってたのに、だんだん言葉が出てこんようになりました。
それがどんなに不自由か、あるとき、私が喉をやられて1週間ほど声が出なかったことがあったんです。『ちょっとそれ取って』と言うこともできない。相手は聞こえないから何度も『なんやて?』です。こっちは『なんでわかってくれへんの』とイライラする。私は1週間で元に戻りましたが、これを永遠にやったらどうなるかなと思ったとき、この人がどれほど不自由かわかったんです。
夫は一家を支える主なのに、言いたいことが言えないから大きなストレスを抱えていたはずです。私は友達に電話できますが、この人はそれもできません。そんな歯がゆさは、相手の身に置き換えてみたらよくわかります。それなら気持ちよく楽しくせんと、私もこの人も、なんぼでもしんどくなります。この人を不潔にしたらもっと嫌になる。それなら、お互いに気持ちよくなるように、この人の身になって介護しようと思ったんです」
それはそれは悲しそうな顔をした
デイサービスなどを利用せず、現在は家にいるのもそのことと関係があるそうだ。
「まだ歩けた頃ですが、買い物に行こうとすると私に付いてくるので、レジでいろいろ言われても困ると思い、『もう、あんたなんかついてこんでいい』と言ったんです。それはそれは悲しそうな顔をしました。人間は、存在をないもんとされる、あるいは存在を軽く見られることが、生きていくのにいちばんつらいんやろね。
今、この人を施設に預けたら、きっと言葉が出んから誰からも声をかけてもらえんと思います。自分という存在が消えていくような気がするでしょうね。でも、この家にいれば私も声かけるし、娘も声をかける。するとうれしかったらニコニコするし、嫌な時は顔をしかめます」
――そこに至るまで教科書的なものはあったんですか?
「私は、教科書なしに始めたからかえってよかったんです。介護というのは一人ひとり違います。それなのに、介護する側が勝手にいいと思って教科書どおりにしたとき、それが相手に合わなければ怒りを買うだけです。もし教科書にないことが起こったら、きっとパニックになります。私の体験から、教科書に5つ書いてあったとしたら、そのうち1つでも役に立ったらいいほうです」
――マニュアルなしに何を基準に考えたのですか?
「五感です。動物は言葉がないのに伝えられるのも五感です。人間も、もともと五感が優れていたはずなのに、使わなくなって鈍っているんですね。でも、この人は途中から言葉を失った分、五感が鋭くなっています。だから、こちらも五感を研ぎ澄まして感じることです。例えば入浴介助で、みんなの前で裸にされたら、恥ずかしくてお風呂に入れるだろうかと想像できたら、次にどうすればいいかがわかります。食事もそう。時間を決めていますが、口を開けんかったらお腹は空いてないと判断して食べさせません。この人はこの人で、五感を使って伝えようとするんです」
障害を受けたら、それを補うようにして他の器官の感受性が鋭くなるのは、認知症の人も同じなのだろう。コミュニケーションの手段は言葉だけではない。しぐさや表情、いろいろだ。それらに気づかないのは、これまで障害者を社会から排除してきたせいかもしれない。
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