認知症介護で崩壊寸前の家族を救ったきっかけ 介護にマニュアルなし!介護から「快護」へ

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「ただいま」「おかえり」といった言葉にも反応して大声を出すから、息をひそめながら生活をした。娘たちが学校から帰って食事をすると、食べ終えたにもかかわらず「俺にもくれ!」と怒鳴るので娘たちは隠れて食べた。やがて2010年夏になると、ほとんど言葉を失ってしまう。

一方でデイサービスに行っても、すぐに脱走して家に戻ってきた。認知症になる前は人と話をすることが大好きだったのに、しゃべれないことがつらいのか、あるいは家族と離れることに不安があったのか、「クルマで迎えに来てもらって、やっと行ってくれたなぁと言うてたら足音が聞こえてくるんです」という。

ショートステイもついに断られた

3、4年経っても相変わらずデイサービスになじまず、ショートステイも暴れたり手が出たりするので、ついに断られてしまった。別の施設の利用を考えているなら、薬の調整をしてほしいと言われて入院するが、それまで自分でトイレに行っていたのに、入院2、3日でオムツをつけられ、退院したときは尿意が失われた状態で家に戻された。

なぜこんな病院を選んだのかと思っても、素人がいい病院かどうか判断するのは不可能だ。それに、そこはテレビでも紹介される“立派な”病院だったのである。退院1カ月後には衰弱して起き上がれなくなり、家族は死も覚悟したが、必死の介護で体力を取り戻し、現在は自宅のベッドにいることが多い。

小田家の奇跡は、そんな修一さんが2015年の娘の結婚式に、車いすながらも会釈もする普通の父親として席に連なったことだろう。ちなみに修一さんはアルツハイマー型と診断されたが、尚代さんによればそれほど単純ではないそうだ。

「あれはデイサービスに行き始めてだいぶ経っていました。バスに乗っていると、お寺の近くまで来たらソワソワするんです。やっぱりそこで降りたのですが、降りてお寺の際を歩いていると、道が分かれているところに出ました。左に行ったら自分が勤めていた会社、右に行ったら、デイサービスの方に数回連れて行ってもらった『しゃべり場』。サロンみたいなところです。

どこに行くのかなと思ったら、『しゃべり場』のほうに行くんです。それも迷わず向かい、ドアをコンコンとする。見たら木曜日でお休みだったのですが、どうしようかなと思って『お父さん、今日はお休みてしてはるわ』と言うたら『うん』て納得してバス停まで戻ったんです」

数回連れて行ってもらった「しゃべり場」のことを覚えていたのである。記憶力はその後もそれほど衰えることはなかったという。

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