――地震発生後すぐに解説するためには、普段からかなりの勉強が必要だと思うのですが、どうやって時間を作っていますか?
勉強はほとんどやっていません。地震に関心を持ち始めたのは中学生の頃で、とにかく読んでいて面白かったんでしょうね。なんでも頭に入ってきました。そのときのベースが9割です。あとは最新情報を入れていけばいいだけです。
――中学生の頃、何がキッカケで興味を持ち始めたんですか?
本屋に行ったときに、たまたま棚の上に横倒しで置かれている本があったんです。なんとなく手に取って、それが理科年表という、本当に気象資料の数字しか載っていない本なのですが、それを見て衝撃を受けました。
当時中学2年生で、自分の人生を考えたときに頭の中に残っているのは、せいぜい5年か10年くらいです。そのもっと前、1400年くらい前から地震の記録が残っているんですね。楽しくて楽しくて、学校から帰ったらずっとそればっかり読んでいました。
――本当に数字ばっかりの本ですね……。これがほぼ頭に入っているとはすごい。地震が発生するメカニズムとか、そういう知識とは違いますね。
多くの解説員の方は、どちらかというと予測ですよね。これから雨が降るのかを、雲を見て、空を見て考えるのが好きっていうような方が多いです。私は、気象現象の結果何が起きたのか、どういう被害が出たとか、どういうふうな影響が出たとか、そちらに興味があるんです。
大学は法学部、最初の就職は製薬会社
――中学生のときに興味を持って、それを仕事にするつもりで進学、就職をしてきたのでしょうか。
気象系の大学も目指しましたが理系科目が苦手だったので、次に関心を持っていた法学部に行きました。1995年に就職した会社は薬品会社で、これも気象とはまったく関係ありません。気象予報士の試験が1994年に始まり、その辺から勉強を始めました。1996年3月に合格して、そのときに「準備ができたら気象会社に行こう」と、初めて決断しました。
――それで、転職活動を始めたんですね。
でも、合格後、半年以上は何も活動しませんでした。薬品会社の仕事が嫌いではなかったので。たまたまその年、1996年の秋に転勤の打診があって「今だ」って思いました。急にやめると言い出したので、上司もびっくりしていました。
会社をやめて転職活動を始めたのですが、どんな気象会社があるかまったく知らなくて、本に書かれていたリストの上から順に電話をかけていきました。1社目には冷たく断られ、2社目がウェザーニューズでした。「いい人がいたら取ってますんで」と言ってくれたので、履歴書を送ったりして、1997年1月20日に決まりました。
「ひまわりの受信機」を個人で買っていた
――面接では、地震に詳しいことをアピールしたんですか?
そういう話はしなかったと思います。ただ、ひまわりの受信機を買った話はしました。200万円したんです。買ったのは1996年7月で、社会人2年目ですから、買った瞬間、一文無しになりました。
アンテナは直径1メートルくらいあって、屋根の上に取り付けるのに工事の人がきました。受信表示装置はデスクトップでブラウン管モニターのパソコンです。インターネットで見られるひまわりと同じような物です。今思うと何ともない性能ですけど、当時はすごく楽しませてもらいました。1年で壊れましたけど。
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