ビジネスの道への第一歩
しかし、日本を、そして東北をよくしたいと思っても、竹井には技術者としての知見以外何もなかった。そこで、まずは経済的に自立するために、大学院を休学して小さいビジネスを始めることにした。
ネット上で簡易に広告用のちらしを作成するというものである。初めてビジネスに携わる竹井は事業を立ち上げる段階で、自身の軸が定まらないままに多くの人からアドバイスを受けた。その結果、自分のプランに自信が持てなくなり、結局半年間でこのビジネスには終焉を迎えさせることになる。
この半年の間に竹井は、宮城県や仙台市が主催する様々なイベントや塾に参加し、ネットワークを広げていた。そんな中で、ある人物から「誰でもできるようなことをしてはだめだ、竹井君しかできないことをしなさい」アドバイスを受けていた。
東北の経済をどうにかしたいという思い、そしてそのために世界と戦いたいという思い。その一つに方法が東北大学のナレッジを活かすことではないかと考えた竹井は、東北大学の産学連携を主管する部署で教務補佐員という形で職を得た。企業と大学教授とのマッチメーク、産学連携の企画立案、国の予算申請の手伝いなどを行っていたのだ。
その後経済産業省の外郭団体のフェローの肩書きを取得し、その仕事を継続した。任天堂DSという携帯ゲームで有名になった「脳トレ」のプロジェクトなどにも関わり、充実した生活を送っていたという。
しかし、竹井は思った。「仕事は確かに楽しい。でも、自分はビジネスの勉強をするためにこの職場を選んだのではないのか。でも、大学ではそれはできない。教職員の頭にあるのは、研究費をどこからとってくるかばかりだ。組織も大きすぎ、官僚化していて動かない」
しばらく悩んだ後、任期2年を残してフェローの職を辞し、竹井は東北大学を後にした。ビジネスの基本を学ぶために、企業に就職したのだ。
いずれビジネスを起こしていきたいと考えていた竹井は、自分の専門分野が生かせ、その上でビジネス神髄であるものを売る現場を経験するために営業職を探したのだ。結果、愛知県にある再生医療の会社に入り、営業職に就くことができたのだ。
▼田久保の視点
目的と手段を明確に分けて考えることは非常に大切である。時に懸命に物事に取り組んでいると、それが目的なのか手段なのかわからなくなってしまうことがあり、手段にしがみついてしまうことがある。常に目的を意識し続けたいものである。
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