巨人で「3軍」常連の男が野球に見つけた生き方 24歳で戦力外通告、女子野球新チーム監督に
プロ野球チームから声のかからなかった高橋は、埼玉県の社会人チームに入社。働きながら、野球を続けていくことになった。
じつは誘いがあった時点で、「もう一度、トライアウトを受けたい」という希望を伝えていた。それを応援してくれるというのが決め手だった。
入社したのは建設会社だ。平日は朝4時に起きる。5時すぎには同僚とともに、埼玉から東京の現場へ移動するのだ。ヘルメットをかぶり、ニッカボッカをはいて、とび職として働いた。重い荷物を持って、高く組まれた足場を歩く。野球の練習は、こうした現場仕事を終えた後だ。どうしても練習時間が足りない。休みの日に練習に励んだ。
結局、8月にその会社を辞めた。トライアウトまであと3カ月。練習に集中したかった。
会社を辞めてから、練習量はぐっと増えた。午前中に2時間、近くの河川敷でランニング。階段ダッシュ。キャッチボールは高校時代の後輩など、多くの人に頼み込み、日替わりで相手をつとめてもらった。
その後はウエイトトレーニングで体をいじめ、夜は日付が変わるまで、バッティングセンターで打ち込んだ。
トライアウトに2度挑戦した選手の中で、合格者は一人もいない。
「100%、落ちるわけじゃないですよね。可能性があるのなら、やりたい」
2018年のトライアウトは福岡で行われた。
このときも代走を志願して、盗塁をひとつ決めた。しかし現役時代からの課題だったバッティングでアピールできない。4打席ノーヒットで終わってしまったのだ。
トライアウトが終った瞬間、高橋の心の中に、「もう、いいかな」という思いが湧いてきた。
「なんで、そんな気持ちになったのでしょうね。今でも分からないんですよ。すみません。自分でも説明できなくて。“通用しなかったな”という後ろ向きの気持ちではないけど。もう、プレイヤーとしてはいいかな、と。気持ちが切れたんです」
2度目の再出発をきった高橋
2019年から、高橋は人生で2度目の再出発をきった。
野球道具は、すべて新潟の実家へ送ってしまった。
「もう、使わないだろうと思ったんです」
医療機器を扱う会社の営業マンとして、客先に足を運ぶ毎日。ボールを触る時間もなかった。
「仕事は充実していて、楽しかったですよ。もともと人と話すことが好きですし。コンディションのケアのお手伝いとか、これまでとは違う形で選手をサポートできるのがうれしかったですね」
仕事として、ジャイアンツ球場へ足を運んだこともある。高橋さんはスーツ姿だ。
「巨人を離れて、2年が経っていましたが、首脳陣や、コーチの皆さんが、選手だったころと同じように接してくれて、ほんとうれしかったです」