実はあまり表には出てきていません。ニューヨーク・タイムズ紙の書評には載っていないですね。でも、アメリカ版アマゾンにはレビューが600件以上あって、それはそれで大きな反響だったと思います。パール・バックが最後に言いたかったのはこういうことなのね、と静かに本を閉じる感じで読まれたんじゃないでしょうか。作家と作家自身を投影した作品、その両方へのリスペクトという位置づけだと思います。
ランはパール・バックその人
──確かに、大作家の遺作と身構えて読み出したら、最初の場面でいきなり意表を突かれました。
そう、導入がちょっと意外ですよね。天才児ランドルフ・コルファックス(ラン)の物語は、胎内でのモノローグから始まります。子宮の“暖かな海”で手足を動かし寝返りを打つ快感、達成感。ところがだんだん窮屈になってきて、暴れるうちに産道へ押し出され、母体の外へつかみ出されて初めて空気を吸い込むところまで、すべて赤子ランの感覚で語られます。
12歳で大学に合格、でもそこでの生活が彼にはすべて物足りない。あるショッキングな出来事をきっかけに故郷を離れ、祖父の住むニューヨークへ。
そして16歳で自分探しの旅に出ます。敬愛する父や恩師、祖父から受けた薫陶、航海の途上で知り合ったイギリス貴族未亡人による性の目覚め、パリの裕福な中国系骨董商父娘との数奇な縁、すべてが彼をあくなき探求へと駆り立てます。そして韓国での兵役で目にした軍部の腐敗を基に小説を書き、一躍注目の新人作家として脚光を浴びる。ラストは予想外の運命が彼を待ち受けます。
──ランが出合う世界の一つひとつが魅惑的で、ともに旅する気分で読み進めたのですが、終盤、一山当てたい出版社・資産家から持ち上げられ、素直に乗っかっていく姿に、正直違和感がありました。
わかります。ランはパール・バックその人なんです。彼女が『大地』を書いたのが南京で、原稿を見た母国アメリカの出版社から呼び出されると、引っ詰め髪にもっさりした服でやってくる。メディアに引っ張り回され、出版社に指示されたとおりにインタビューに答えて、本は売れるんですね。あまりに場違いで言われるがままお人形さんになっていた自分を、ランに重ねているんです。
ただ、彼女は生涯に80冊以上書いていて、ほかのドロドロした作品などにはもっと赤裸々な、自分そのままみたいな主人公が出てくる。それらに比べれば自伝色は薄いんです。
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