医学部が日本の大学界に圧倒的な力を持つ理由 歴史を学べばその本質がおのずと見えてくる

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わが国では、大学とは明治政府が富国強兵を目的に設立したものから始まります 。これは欧米先進国とは対照的です。

欧州最古の大学として知られるイタリアのボローニャ大学は、自由都市国家の市民たちによって開設されました。アメリカのハーバード大学は、17世紀に清教徒派の牧師が寄贈した財産と蔵書をもとに活動が始まりましたし、イギリスのオックスフォード大学は、12世紀に英国王ヘンリー2世が英国人の学生がパリ大学で学ぶことを禁じたため、パリから移住してきた学生が集まってできたことに由来します 。

わが国の大学は、1877年(明治10年)に東京開成学校と東京医学校が合併し、東京大学が創設されたことから始まります。このとき、法・理・文の3学部、東京医学校が改組され、医学部が設置されました。

1886年(明治19年)3月には、帝国大学令が公布されます。わが国は、国を挙げて、高等教育の充実に尽力します。

では、この時期の社会情勢は、どんな感じだったのでしょうか。前年3月には福沢諭吉が『脱亜論』を発表し 、4月には日本と清国の間に天津条約が結ばれます。1884年(明治17年)に朝鮮で起こった甲申政変(李氏朝鮮へのクーデター)の事後処理です。日本人が自信をつけ、朝鮮半島、中国などアジアの周辺諸国へ進出し始めた時期です。

また、1885年(明治18年)12月には、旧来の太政官制度が廃止され、内閣制度が発足します。初代の総理大臣は長州藩出身の伊藤博文です。さらに、1886年(明治19年)1月には北海道庁が設置されます。北海道の開拓をリードしたのは薩摩藩出身者です。明治維新以来の動乱が収まり、薩長出身者を中心に国内の体制整備が進みます。

高度教育システムの確立が必要だった

帝国大学令が公布されたのは、このような時期です。急成長する日本社会は、1人でも多くの専門職を必要としていたのでしょう。そのためには、高等教育システムの確立が必要でした。これが、わが国の大学教育の始まりです。

わが国では、帝国大学令公布以降、1939年(昭和14年)までに合計9つの帝国大学ができました。国内の7つ以外に、1924年(大正13年)にソウル、1928年(昭和3年)には台北にも帝国大学が設立されます。

大学は帝国大学だけではありません。明治から戦前までの期間に、他の官立や県立大学、さらに私立大学を入れれば、国内に53、外地に8つの大学ができました。先人たちは、随分と頑張って大学を立ち上げ続けたものです。

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