しかし、ネットを使って中古品を入手した人は、フリマやネット・オークションという手段がなかったとすれば、新品を購入しただろう。そして、製品の販売業者やメーカーの売り上げが増加し、そこで働いている人たちの所得は増加したはずだ。しかし、フリマやネット・オークションを通じた取引が拡大すれば、製品の販売業者やメーカーの売り上げは低下し、経済活動は縮小してしまうことになる。
カーシェアリングで自家用車を共有することや、民泊で空き家や空き部屋を使って個人が収入を得るということでも、同じようなことが起こる。今までそれぞれ自家用車を所有していた2人が、カーシェアリングを利用することで1台の自動車を共用することになったとしよう。
必要な自動車が1台になるので2人にとってコストは大きく低下する一方、便益が大きく減少することはない。しかし自動車会社から見ると、今まで2台売れていた自動車が1台しか売れなくなるので、生産・販売台数は減少するはずだ。1台当たりの利用時間が増えて乗用車の利用効率が上昇しており、より少ない資源で今までと変わらない便利さを実現しているので、社会的には望ましいが、経済活動という視点でみるとやはり縮小圧力となっている。
民泊も同様で、放置されていた空き家が有効活用されるので、社会的に望ましいはずだが、ホテルや旅館にとっては需要の減少要因となるはずである。社会的な望ましさと、経済活動の規模という尺度とは必ずしも一致しないのだ。
無償サービスでさらに差は大きく
もう一つデジタル経済でGDPが十分に捉えていないと指摘されるものに、無償で提供されるサービスがある。インターネットの検索サービスは無料であるし、皆さんが今読んでいるこのコラムも無料で読むことができる。
このような無料のサービスはインターネットが登場する以前から存在していた。例えば、民間放送局が提供しているテレビ番組だ。テレビ局はコマーシャルを放送することで企業から費用を徴収し利益を得ており、こうして得ている会社の利益と人件費などの付加価値はGDPに計上されてきた。インターネットのニュースサイトの画面にも広告が掲載されている。無料サービスがGDPにおいてまったく無視されてきたわけではない。しかし、われわれの生活を大きく変えてきたという感覚とGDPへの寄与分との差が大きいのは否定できないだろう。
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