管理職も私たち流!ナナロク世代の流儀 元専業主婦、落ちこぼれ社員だからこそ

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――元の会社に戻ってやってみようと思われたのはなぜですか。

日本コカ・コーラの小林麻美さん

小林:リクルートにいたときに仕事って何かというのがわかって、そこから自分は何をやりたいのだろうと考えたとき、コカ・コーラでこんなことをやりたかったよなあというのがあったのです。

そこで、それぞれの会社の上司だった方に相談したら、2人とも「じゃあやってみたら」という感じで、すごくサポートしてくれたんです。私はひとりで悩んでいたのに、周りの人が全然、悩まずにポンと背中を押してくれて、家族もいいんじゃないと応援してくれました。

――そのときはもう、東京に家族で戻られていたのですか。

小林:いえ、主人がまた別のところに転勤だったので、これから生活の仕方をどうしようかという話をしましたね。

――それはもう別居という形を選ぶと。

小林:そうですね、はい。もうかれこれ7年ぐらい、別々ですね。

パワポも使えない契約社員からのスタート

――伊藤さんは東京に戻られてから就職されたとか。

リクルートの伊藤綾さん

伊藤:東京に戻ってきたら、友達はみんな働いているんです。私はあまりにも先のことを決められていないし、スキルもなかった。ちょっとでもいいので何か仕事をしたいというような感覚でした。でも、たった1年の仕事経験しかなく、自分の実力としてさすがにこれはまずいと思いました。そんなとき、朝日新聞の求人情報でリクルートの1年契約・最高3年雇用の契約社員募集を見つけて応募しました。

――初めは契約社員として働いていたということなのですが、当初から『ゼクシィ』の編集部だったのですか?

伊藤:そうです、『ゼクシィ』編集部に配属になりました。でも、私も白井さんと一緒でエクセルも使えないですし、パワーポイントも使えない、何もできない状態でした。そのとき28歳でしたが、周りの同い年のリクルートの社員は、パワーポイントで積極的にプレゼンテーションをしている。一方で私はパソコンを立ち上げた後、どうしたらいいかさえわからないという状態でしたので、やっぱり最初はとても苦労しましたね。

――そこから企画を出せるようになるまで、どのくらいかかったのですか?

伊藤:初めの1年はまったく鳴かず飛ばずでした。朝起きると会社に行きたくないという状態でしたね。

――よく続きましたね。契約だったら1年ごとの更新だし、契約せずにもう辞めようかなって思いませんでしたか?

伊藤:ここであきらめると、その前とまた同じ1年で辞めることになるので、それはどうしても嫌でした。よく3年は続けろと言いますよね。私は1年しか経験がないということが、自分の中でコンプレックスでしたので、とにかく3年の満了まではやろうと思っていました。

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