28歳「中国残留孤児3世」が日本で直面した現実 5歳で来日、捨てられた家電を拾って暮らした

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むつきさんが幼い頃に両親は離婚しており、彼女は祖父母に育てられていました。しかし小学校に入るとき、父の姉一家が別の住まいに移ることになり、むつきさんも姉一家と共に暮らすことになります。慣れない生活の中、いとこ同士で同じ学校に通わせたほうが子どもたちにとっていいだろうと、大人たちが判断したのです。

この暮らしは、むつきさんにとって「あまりよくない」ものでした。優しい彼女は言葉を選びましたが、伯母は言葉がきつい人物で、勉強ができる自分の子どもたちとむつきさんをいつも比べたため、ストレスから彼女は夜尿症になってしまいました。

祖父母の元に戻れたのは、小学校3年のときでした。きっかけの1つは「シャチハタ」です。彼女が家にあったシャチハタを見つけ、外に持ち出して遊んでいたところ、「泥棒が入ったんじゃないか」と騒ぎになってしまったのです。言い出せずにいたところを見つかり、ひどく怒られましたが、おかげで祖父母の元に帰れたのでした。

伯母も「日本に来て言葉も通じない、お金もなくテンパっている時期に、弟の子どもの面倒まで見なきゃいけないという状況」で、大変だったろうとむつきさんは言いますが、大人にあたられる子どもだって大変です。

なお、家の中では彼女もいとこも中国語のみの生活をしていましたが、小学校で日本語のみの環境におかれたため(初めはサポート授業も受けられたそう)、2人とも比較的早く、日本語を使えるようになったということです。

公立中学入学に8万、つたない日本語で抗議した祖母

元の住まいに戻ってからは、祖父母や叔父と一緒に、公園などに捨てられている電化製品などを拾いにいったことを覚えています。初めはとくにおかしなことと思わなかったのですが、学校で「昨日、テレビを拾った」と話した際の友人たちの反応から、「恥ずかしいことらしい」と学び、それからは「家族の後ろをついて歩くだけ」になったといいます。

それでも当時、自分の家が貧しいという実感はありませんでした。家にモノはありませんでしたが、祖母は「食べものには絶対に困らせない」という考えをもっていたため、「ご飯でひもじい思いをしたことは全然なかった」からです。小学校の友達もみんな仲がよく、いじめられるようなこともありませんでした。

初めて「うちにはお金がないんだ」と自覚したのは、中学に入るときでした。日本の中学校は義務教育でありながら、入学前に制服や体操服、指定のカバンなどを買いそろえなければならず、これがとても高いのです。

店の人から計約8万円を請求され、祖母はつたない日本語で「高いよ、払えないよ」と抗議しましたが、当然値引きはしてもらえません。むつきさんは試着室に立ち「このやり取りを、ただ申し訳なく見ていた」そう。帰り道、祖母は泣いていました。

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