戦後の朝霞では、基地のある朝霞駅南口側ではなく、東口側が開けていった。1953(昭和28)年には関東初の生産拠点として積水化学の工場が操業を開始し、塩化ビニル管・継手、雨どいなど、住宅や上下水道向けの製品を製造した。この工場は当時の朝霞町が誘致したもので、隣の和光市(当時は大和町)にも同年、町が誘致した本田技研工業の工場が進出している。
また、朝霞駅の駅前には1960年、日本住宅公団(現UR都市機構)が東朝霞団地435戸を建設。その後、ベッドタウンとして朝霞の人口は増え続け、1960年の2万4000人が1970年には6万8000人と急成長を遂げた。その東朝霞団地も2000年から建替事業に着手し、2007年に新たな集合住宅コンフォール東朝霞に生まれ変わった。
積水化学工場は2015年に閉鎖。その跡地には積水化学グループが「あさかリードタウン」と名付けた戸建てと集合住宅、商業施設のある複合大規模住宅地を開発中。朝霞駅から路線バスに乗って現地に行ってみると新築の戸建て住宅が数多く並ぶ風景には、工場跡の名残はなかった。
一方で、川越街道の南側のサウス・キャンプ跡地は、自衛隊朝霞駐屯地となっている。周辺では迷彩服を着た自衛官が自転車に乗って移動している姿を何度か見かけた。川越街道に面した正門脇には陸上自衛隊広報センター「りっくんランド」があって、ヘリコプターや戦車の実物などの展示は見応えがある。
夏のイベント
朝霞の隣市である新座市出身の20代女性に聞いた話だが、自衛隊の一般開放日や納涼祭などのイベントは地元・新座や朝霞の子どもたちにとっても楽しみな行事だという。駐屯地内には自衛隊体育学校もあり、2020年東京オリンピック・パラリンピックの射撃競技はこの自衛隊朝霞訓練場内で行われる。
自衛隊のイベントのほかに、朝霞、新座辺りの中高生や若者が楽しみにしている夏のイベントが「彩夏祭(さいかさい)」だという。
1984年に始まった朝霞市民まつりが、1995年から彩夏祭の愛称で親しまれるようになった。毎年8月初めの3日間にわたり、朝霞の中央公園と北朝霞公園の野球場などに会場が設営されて行われる大規模な祭りだ。
主なイベントは本州で最古のよさこい鳴子踊りの祭典「関八州よさこいフェスタ」と打ち上げ花火で、朝霞の子どもたちの夏の思い出になくてはならないものだという。
自衛隊のイメージが強い朝霞だが、散策してみると、武蔵野・よさこい踊り・東京オリンピック・パラリンピックの射撃会場などとさまざまなコンテンツが潜んでいた。戦後接収されて70年以上。朝霞はようやく基地時代を完全脱却して「むさしのフロント」に変貌中ということのようだ。
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