朝霞駅から南に向かって20分ほど歩くと陸上自衛隊朝霞駐屯地に到達する。この敷地は、朝霞市のほか新座市、和光市、東京都練馬区をまたぐ約90ヘクタール、東京ドーム約20個分の広大な面積を占めている。その前身は、1932(昭和7)年に設立された東京ゴルフ倶楽部朝霞コースだった。
もともと朝霞は、川越街道の膝折(ひざおり)宿を中心に発展した土地だったが、ゴルフ場ができたときに膝折という地名は縁起が悪いと、東京ゴルフ倶楽部の名誉総裁でゴルフ好きの宮様・朝香宮の名から朝霞という地名に改称され、東上線の膝折駅もこのときに朝霞駅となった。
朝霞の森として開放
しかしその朝霞のゴルフ場は1941年に陸軍予科士官学校となり、戦後は接収されてアメリカ軍基地のキャンプ・ドレイクに。基地は川越街道を境にノース・キャンプとサウス・キャンプに分けられた。サウス・キャンプには1960年から陸上自衛隊が駐屯。アメリカ軍基地は1960年代後半から徐々に返還され、1974年には基地の敷地はなくなる。
ノース・キャンプの跡地は中央公園や小中学校、高校、図書館やコミュニティセンターなど市の公共施設に整備されていったが、一部には国有地として金網に囲まれた立ち入り禁止のエリアも存在し続けていた。
このノース・キャンプには“リトルペンタゴン”と呼ばれた在日アメリカ軍司令部も存在していたということで、金網越しに内部をのぞきにやってくる軍事マニアなども後を絶たなかったという。
この立ち入り禁止エリアには公務員宿舎を建設する計画があったが、地元の反対運動もあり中止に。2012年からは、基地跡地暫定利用広場「朝霞の森」として、開放されている。広場一帯は雑木林や並木道が続き、まさに武蔵野の雰囲気。武蔵野というと東京都内の郊外をまずイメージするが、その地続きである朝霞や新座、所沢も当然、武蔵野なのだ。
朝霞市内では、あちこちで「むさしのフロントあさか」のロゴマークを目にする。これは朝霞市の魅力を内外にアピールするために朝霞市が制定したもので、市のホームページを見ると、都心に近い利便性と自然がバランスよく調和していることが、この「むさしのフロントあさか」という言葉に託されていると説明されている。
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