小説家直伝「名作」を味わい尽くす意外な読み方 「こころ」をスロー・リーディングしてみる

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まずは、冒頭の「先生先生というのはいったい誰の事だい」という言葉から始めよう。主人公に対するこの兄からの問いかけは、実は、読者の声の代弁にもなっている。

『こころ』は、ご存じのとおり、「私はその人を常に先生と呼んでいた」という一文から始まる。小説家は、冒頭の一文に非常に気をつかうので、この「先生」という言葉は、作品のキーワードの1つと考えて構わないだろう。こうした小まめな推理は、結果として違っていても構わないという程度に頭の片隅に置いておく。その考えに拘束されず、さりとて、まったく意識しないというのでもない、という感覚である。

なぜ「先生」なのか

そういう意味では、さりげないながらも、この「先生先生というのはいったい誰の事だい」という一文は、小説の冒頭と呼応している。こうした作品内の言葉の響き合い、呼応関係をつかむことができると、小説全体の構造の見通しが急によくなることがある。

読者は、ここまでずっと、この謎のような「先生」に対して疑問を抱き続けている。教師でもなければ、医者でもない。なんで、「先生」なのだろう?そうした読者の疑問は、作者も予感していたはずだ。そしてここでは、兄を通じて、その読者の声を作品内に引き込み、それに応じようとしているのである。

小説を読む場合、このように、登場人物が「疑問文」で問いを発する場面に出くわしたときには要注意だ。作者には、自作に対する読者の疑問や反論に答えたいという欲求があるから、どこかでその場所を設けたいと考えている。会話の中の質疑応答は、その格好の場所であり、小説以外の例えば、「対話篇」というようなジャンルは、ひたすらその質疑応答だけで作品が成立している。

ところで、ここではその疑問が、なぜ、あえて兄によって発せられているのだろうか? そんなのたまたまだと決めつけず──結果としてたまたまということはもちろんあるにせよ─―それを考えてみる手間を惜しまないようにしよう。つねに「なぜ」と考えてみることは、スロー・リーディングの基本である。

引用文中に示されているとおり、実は、この同じ問いは、これに先立つ〈六〉で、父からも発せられている。〈中〉は、したがって、続く〈下〉の「先生」の死を前にして、「先生」とは何者なのか、また「先生」とは主人公にとってどういう存在だったのかを、「先生」の登場しない場面で念入りに確認しておく意味を持っている。

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