小説家直伝「名作」を味わい尽くす意外な読み方 「こころ」をスロー・リーディングしてみる

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主人公は、もちろん、この言葉を敬称として用いている。しかし、作者は明らかに、このもう一方の「先に生まれた人」という意味にフォーカスしてこの言葉を使用している。そして、このとき「先生」というのは、その後の近代化を経た、私たちすべての読者にとっての「先に生まれた人」なのである。

「違和感」に注意する

この兄とのやり取りは、「イゴイストはいけないね。何もしないで生きていようというのは横着な了簡だからね」と続けられている。今、「先生」について、かなり丁寧に見てきた私たちには、この一文が非常によく納得されるであろうが、最初に読んだときには、少々唐突な感じがして、違和感があったのではないだろうか?

そういうときは、作者が多少無理をしてでも、大切なことを言っておきたいと考えている場面である。したがって、それを小説として「ヘタだ」とケナして終わるか、その強引さが意味するところは何だろうと考えるのとでは、作品の理解に雲泥の差が生じる。

キーワードは、「イゴイスト(利己主義者)」という言葉である。これは、〈下〉の中心的な主題となる極めて重要な言葉だが、小説に登場するのはこの場面が初めてである。

作者としては、その準備として、まずは読者にこの言葉について知っておいてもらいたい。そのために、この場面は不可欠であり、そういうとき、あえて注意を喚起するために違和感を盛り込むこともあれば、思いあまって、結果としてそれが違和感と感ぜられることもある。

この場合、どうであろうか? 慎重に見ると、これは先ほど見た、父と兄との「先生」観の相違に基づいていることがわかる。兄が問題としているのは、「先生」が「自分のもっている才能をできるだけ働かせな」いことだ。この意見をもっともだと考える読者は多いかもしれない。しかし、そうしないことが、直ちに「イゴイスト」と言えるかどうかは、別ではないだろうか? 

極論すれば、どんなにすばらしい才能を持っていても、それを生かすかどうかは本人の勝手だ。誰にも迷惑がかからない。強いて言えば、誰も彼の才能のおかげで得しない、ということである。ところが、人の利益になりうる能力を持っているにもかかわらず、それを提供しない「本人の勝手」が「イゴイスト」とここでは非難されている。この非難は、はたして正当だろうか?

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