「ブラック社則」への困惑を哲学で考える方策 ルールに対してどう生きるか学ぶ4ステップ

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ここまできたら、あとは「使える結論」を導き出すのみだ。

まず、「社則」そのものの是非は、何とも言いがたい。「なぜ強制できるか」という点で言えば、万人を説得できるような根拠はない。一方で、顧客との関係や会社の評判、職種を考えれば、ある部分での理屈は通っているとも言える(ただし、「俺が切ってやる」という課長の発言はパワハラだろう)。

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そもそも、同じ営業職だとしても、IT系や広告系の企業では、もっと奇抜な髪型でも問題にならないだろう。「よい/悪い」の基準は状況に応じて変わるのだ。

であれば、「社則」の是非を延々と議論するのではなく、「今ある社則に反してまで髪型に固執することが、自分にとって本当に重要なのか?」という実践的な問いこそ、ゴロウには必要なのではないか。

例えば、どれだけ指導されても七三分けや短髪にはしたくないと思うのであれば、今の髪型のまま働ける職種に変えたほうが早い。

ちなみに、この会社側に課題があったとすれば、どんな社則があるのか、あらかじめ見えないようになっていたことだろう。最初からハッキリ明記しておけば、ゴロウも最初から入社しなかったはずだ(もちろんほかにも、規則の強制の度合いが強いという問題があるが、本記事では触れない)。

目的を明確にしたうえで建設的な議論が必要

ただし、哲学者のフーコーが言ったように、企業も学校と同じく、近代社会における「権力空間」である。そこでは学生も大人も、髪型に限らず、さまざまな「規律」に服従することが要請される。規律(社則)を守らなければ、権力空間(企業)から排除されるだけだ。髪型の強制から逃れるために、会社を辞めたとしても、ゴロウは別の権力空間で生きることになる。何もかも好き勝手にできるわけではないことを、ゴロウは理解する必要がある。

とはいえ、である。

例えば、ある人がおでこの傷を隠すために前髪を下げていたのに、会社側から前髪を上げるように強制されたとか、地毛が茶色であるのに黒染めを強制されたというのであれば、それは個人が生まれ持ったものの侵害、あるいは背負ってしまったものを貶めるような重大な事態だ。あらゆる理屈を総動員して「その社則に根拠はない」と指摘し、ルールの変更を迫ってよいだろう。

私たちに好き勝手に振る舞う自由がないのと同様に、会社側の権力も無制限ではないのだから。どのようなルールが自分たちにふさわしいのか、目的を明確にしたうえで建設的な議論をしていけるのが望ましい。

このように、あるルールに対してどのような態度をとるかは、時と場合による。絶対的な答えなどはなく、私たちはそういう社会で生きていくしかないのだから、戦略的かつ合理的に、よりよく生きるための結論を出さなければならない。そのために先ほどの4ステップは役に立つ。そして、それこそが私のように日々「哲学」に関わる者たちが実践している考え方のフレームなのである。

岡本 裕一朗 玉川大学 名誉教授

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おかもと・ゆういちろう / Yuichiro Okamoto

1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。ほかの著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシヤ出版)など多数。

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