「ブラック社則」への困惑を哲学で考える方策 ルールに対してどう生きるか学ぶ4ステップ

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例えば、「自由」について過去に論じた人はいないかを調べてみる。すると、ミルという哲学者の『自由論』の存在に気づくはずだ。それを引き合いに出して、「自己決定の原理」に訴えるのはどうだろう。「前髪を下ろしたからといって、他人に危害を与えるわけではないのだから、自由を奪わないでくれ」と。

あるいは、「個性」という概念を用いることで、その社則を批判するのはどうか(「個性尊重の原理」とでも名付けておこう)。「個性は、個人の基本的な権利である。この社則はその侵害だ。個性は権利として守られるべきである」うんぬん……。

自分にツッコミを入れていく

もっともらしくなってきたが、不十分。もう一段階、考えてみよう。自らの根拠を、別の観点から問い直すのだ。ここでは自らの表明した根拠を自己批判したり、根拠のための根拠をひねり出したりする必要が出てくる。

例えば「自己決定」について。ゴロウの髪型は本当に、他人に危害を与えていないと言えるのだろうか。「前髪を下ろす」ことについては、社会人にふさわしくないとか、表情がわかりづらく不信感を与えるなど、社会通念上さまざまな評価が定着している。芸能人ならわかるが、対面で営業するような社員にはあまりお勧めできない。

会社側は、顧客に与える印象や会社の評判などを考慮したうえで「社則」を設定しているのだ。それに反して前髪を下ろすのは、これらの社会通念と対峙することに等しい。ゴロウの行動1つで企業の評価も下がるかもしれない。とすれば、ゴロウの髪型は、会社側に迷惑をかけていることになるだろう。ゴロウは「自由」どころか、「自分勝手」じゃないか?

あるいは「個性」について。前髪を下ろすのがゴロウの「個性」というが、それは本当に「個性的」だろうか。前髪を下ろした人など世間には山ほどいるし、ある流行に乗っかるためにその髪型にしているだけではないか? だとしたら、それはむしろ「没個性」だろう。このように、自分で自分にツッコミを入れていくことで、根拠のあらが見えてきたり、思わぬ説得力を持たせたりすることができるようになるのである。

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