平尾誠二さんが築いた「日本ラグビー躍進」の礎 外国人選手が「個」の輝きを教えてくれた
新しい働き方は、新しい生き方につながる。その意味でも海外出身の日本代表選手から学ぶべき点は多かった。同時に、これでいいのか、このままでいいのかと、自らの人生のあり方に問いを浴びせられ続けた5週間であったという日本人も少なくなかったに違いない。そんな”自由自在” に欲する内心の揺らぎを引き起こせたのなら、平尾さん悲願のラグビーワールドカップ日本開催は確かに成功だったと、自認されているのではないだろうか。
僕は2005年、平尾さんが2011年開催のラグビーワールドカップ招致を目指して奔走する姿を目の当たりにしていた。2002年のサッカーワールドカップ日韓共同開催の地、横浜市の中田宏市長(当時)を訪ねたのもその頃だった。実は僕は中田宏氏の秘書を務めていたこともあった。
招致を後押しするまでの国民的関心が得られない中で機運を高めようと企画された某雑誌での両者の対談では、「ラグビーは矛盾のスポーツ」、これからのリーダーに求められるのは「カリスマではなくキャパシティー」など、多様性に富み、育むラグビーの魅力を平尾さんらしい表現でわかりやすく丁寧に伝えていた。普及までの時間のなさに時に焦りをにじませる必死の表情を、今でも鮮明に覚えている。
その後まもなく、スマートフォンの普及によってリアルタイムの動画が瞬時に共有できるようになると、スポーツにおける戦略戦術のあり方にも変化が求められるようになった。平尾さん自身が「今日使った戦略、戦術が明日はもう使えない」とこぼすほどに、実際の試合中の状況判断、変化対応の多くがますます自立した「個」を求め、委ねられていくことを強く予感していたように思う。
平尾さんが主張した、国籍の別なく選手の「自主性」「自律」を育む土壌づくりの必要性に、時代が着実に追いついてきた。その結果が今回、実力を存分に見せつけた日本代表の姿だ。
普及への転換点
それにしても、英国の旧植民地を中心に発展し、一部に時代錯誤な上下関係を引きずるラグビーの遺風は興味深い。ラグビー伝統国を「宗主国」と呼び、いわばそれ以外の国を暗に下位と位置づけた経緯は権威主義で覇権を争った世界の歴史そのものでもある。片や、テクノロジーの進化がもたらす社会変革は数世紀にわ たって固定化した「先進国」や「発展途上国」の境界を軽々と飛び越え、一部に豊かさの逆転をかなえようとしている。
アジアの一国である日本がW杯の開催国となり、ベスト8に食い込んだのもまた、時代の転換に寄与するものとなるだろう。この先のラグビーの進化が、宗主国の遺風なるシステムをも破壊し、肌色や出自に関係なく真にスポーツに出合う機会の平等を与え、人間形成に貢献することを願う。
その大いなる一歩がW杯日本大会だったということになれば、自ずと平尾さんの思い描いたもう一つの悲願、ラグビーの本当の意味での普及につながるものと確信する。
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