平尾誠二さんが築いた「日本ラグビー躍進」の礎 外国人選手が「個」の輝きを教えてくれた
日本代表チームの歴史的な快進撃に沸いたラグビーワールドカップ(W杯)日本大会。10月20日に開かれた日本vs.南アフリカの試合を、日の丸で覆い尽くされた熱狂の東京スタジアム観客席から見守った。この日はくしくも日本ラグビーの象徴、平尾誠二さん(享年53歳)の2016年の逝去から3回目の命日と重なった。
平尾さんは日本ラグビー「百年の計」を唱え、今大会で海外出身の日本代表選手が大活躍する"多国籍軍”に至る礎を築いた。ラグビーの代表資格が「国籍主義」ではなく「協会主義(地域主義)」であることを最大限活用し、チームを多様性で揉み込みながら個々人の潜在能力と主体性、変化対応力を引き出し抜いた。
結果として”OneTeam”を得るという組織論の実践は、徹底した規律重視のラグビーにおいて、瞬時の判断力を持つ自律した個(セルフ)を求めるという、ある種矛盾した育成観が基盤となっている。「規律」と「自律」の寒暖強いる絶妙にハイブリッドなメンタルが、厚みあるチームを生み出す原動力になったとみられる。先見の明を超えたこの実践こそ、平尾さんのすごみだと感じ入る。亡くなられてもなお、その存在感は健在だ。
覚悟問う「個」の確立
僕が平尾さんに初めてお会いしたのは2002年10月。暗記型一辺倒で硬直化し、優秀が故に不登校となる子らが出始めた日本型教育の弊害を憂いていた。豊かな感性に恵まれた故郷沖縄から教育の選択肢をつくりたいと意気込む僕に、ある人が平尾さんを紹介してくれた。
新神戸オリエンタルホテルで昼食を取りながらのミーティングの席でのことだった。当時僕は31歳、平尾さんは39歳。1999年のラグビー日本代表監督の辞任から3年、協会との関係もまだ修復途上だったと記憶している。帰りのエレベーターでわずか数十秒、2人きりになる瞬間があった。「雑巾がけは長くやりすぎないほうがいい。何かあれば電話して」。平尾さんはそう言って携帯番号の書かれた紙を僕に手渡してくださった。
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