天皇陛下の旧友が明かす「若き日の陛下」の素顔 晴れ男は昔から、気さくで親しみやすいお人柄

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上皇陛下がいつもスーツにネクタイという姿なのも印象的でした。私がホームステイでお世話になったご家庭はどこも、お父さんは仕事から戻るとすぐ部屋着やジャージに着替えていました。御所といってもご自宅ですから、上皇陛下がいつもスーツ姿なのにはちょっと驚きました。

美智子さまの意外な一言

陛下とご家族は、テレビで拝見するイメージどおりに、本当に気さくで親しみやすいお人柄でした。1977年に私の父が長期休暇で母と妹2人を連れて世界一周の旅に出て、日本にも10日ほど滞在しました。陛下にお伝えすると、私の家族を御所に招いてくださいました。

学習院時代の陛下と(写真:筆者提供)

陛下だけに家族をご紹介するつもりだったのが、上皇陛下、美智子さま、秋篠宮さま、清子さまとご家族全員がリビングにお出でになったので恐縮しました。アフタヌーンティーをいただきながら、上皇陛下は私の父と、美智子さまは私の母と英語で話していました。中学生だった秋篠宮さまと小学生だった清子さまは、私の小さな妹たちと英語で会話しながら遊んでくださいました。

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私はいつものように陛下と話していましたが、家族のことが気になって落ち着きません。上皇陛下は英語がお上手で、父との会話は盛り上がっていました。心配だったのは母のほうです。美智子さまはネイティブのようにイギリス風の英語がご堪能ですから、私の母が調子に乗って失礼なことを言わないかとハラハラしたのです。ちょうどトランプ大統領と同じです。

それから6年後のことです。陛下がイギリス留学に出発される日、御所でご友人たちと一緒にお見送りしました。美智子さまがいらしたので「お寂しくなりますね」と申し上げると、美智子さまは「アンドルーさんはちゃんとしていますか? 私はお母さまにあなたのことを頼まれているんですよ」とおっしゃるので驚きました。心配したとおり、母は美智子さまに「アンドルーをよろしくお願いします」とずうずうしく頼んでいたのです。家族ぐるみのお付き合いといえば畏れ多いことですが、それぐらい気さくで優しいご家族なのです。

天皇陛下が気遣いと思いやりにあふれているのも、ご家族あってのことだと思います。

アンドルー・B・アークリー メディカルクリニックあざみ野 事務長

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Andrew B. Arkley

1958年、オーストラリアのメルボルン市に生まれる。中学時代は国連に勤める父に従ってスリランカ、ジャマイカにそれぞれ一年間滞在した。1975年、国際ロータリークラブの交換留学生として学習院高等科に留学。浩宮徳仁親王(現・今上天皇)と同じ地理研究会に所属した。いったん帰国した後、文部省(当時)の学部国費留学生として東京外国語大学に入学。日本事情を専攻し。卒業後はオーストラリアに帰り、鉱山会社のリオティントに就職。東京丸の内の子会社に転勤となり、再び来日。その後、オーストラリア外務省へ出向するために帰国。1986年に再来日した。元日豪音楽交流協会会長、元オーストラリアビジネス協会副会長。1993年、徳仁親王と雅子妃のご婚約にあたり、『ぼくの見た皇太子殿下』(海越出版社)を上梓。現在は、横浜市緑区にある内科クリニック「メディカルクリニックあざみ野」で事務長を務める。

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