天皇陛下の旧友が明かす「若き日の陛下」の素顔 晴れ男は昔から、気さくで親しみやすいお人柄
気候のいい時期は、御所の庭を歩きながらおしゃべりすることもありました。御所にはグランドピアノやハープがある音楽室があるので、そこで陛下がバイオリンを、私がピアノを弾いて楽しんだこともあります。
陛下は1983年から85年にかけて、イギリスのオックスフォード大学でテムズ川の水運について研究されました。この留学から戻られてお会いすると、英語が格段に上達していました。語彙が豊富になり、自然に言葉が出てくる感じがよくわかりました。
家族のだんらんに入れていただく
大学生の頃、御所の中で陛下とはぐれてしまい、迷子になったことがあります。陛下を探していると、美智子さまが目の前におられてびっくりしました。高校時代から何度もお会いしていましたが、突然だったのであわてて「こんにちは」とあいさつするのがやっと。美智子さまは、優しくお言葉をかけてくださいました。ただ、あまりに緊張していたので、何を話されたかはおぼえていません。
陛下とはその後すぐに会えました。私が興奮状態だとわかって「どうかしましたか?」とお尋ねになります。私は美智子さまとバッタリお会いしたことを説明し、「こんにちは、とあいさつしたのですけど、失礼ではなかったでしょうか」と伺いました。
陛下は笑顔になられて、「失礼ではありませんよ。ただ、次に会ったときは『ごきげんよう』とごあいさつしてみてください」と言われました。陛下はいつも優しく丁寧な言葉で説明してくださいます。誰かを叱ったりとがめたりしたところは見たことがありません。
今年4月に新元号が発表されて、テレビで「令和」の文字を見た瞬間、陛下の穏やかな笑顔が目に浮かびました。万葉集にある「令月」と「風和(やわら)ぎ」から一字ずつ取ったものだと聞いて、ますますぴったりだと思いました。あの穏やかな笑顔は、高校時代からずっと変わりません。
美智子さまは、お子さんたちに遊び友達がいるのはいいことだとお考えだったようで、陛下が学習院初等科に入学した頃から、同級生はよく御所に招かれていたそうです。ただ、大抵は同時に数人のお友だちがいたようで、私のように1人でたびたび御所に伺った友人は多くないでしょう。
私の場合は、遠く故郷を離れて日本にきている留学生だったことも理由の1つかもしれません。御所でご家族のみなさんと一緒に夕飯をごちそうになることもたびたびありました。一家のだんらんに混ぜていただくような形です。
陛下や秋篠宮さまは、上皇陛下と美智子さまのことを「お父さん」「お母さん」と呼んでいませんでした。当時は、上皇陛下が皇太子殿下の時代ですから「殿下」「妃殿下」です。ご本人たちにもそう呼びかけていました。
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