男の子に「男らしさ」を求める子育ての弊害 弱肉強食ではなく、共存共栄の時代だ

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ゲーテ曰(いわ)く、母語でない言語を論理的に学ぶことは人間の思考力を高める。“This is a pen.”を習うとき、isって何だ? この語順は何だ?と思う。助詞や助動詞という概念とも出合う。それまで無意識で使っていた母語の構造を相対化できる、それが外国語を学ぶ意味。

そうやって初めて、言語を思考の道具として使えるようになる。その訓練がなかったら、いつまで経っても母語が思考のツールにならない。何となく外国語を話せるようになることが、外国語を学ぶ第1の目的ではないです。

幼児期は文化的土台を広げることが大事

──「ネイティブの先生、います」というのを売りにする幼稚園も。

そんなことより、おじいちゃん、おばあちゃんにお手玉とか昔遊びを教えてもらったほうがよっぽど頭よくなりますよ。絶対に。〽あんたがたどこさ、肥後さ……と歌っても子どもは意味がわからない。〽うさぎ追いしかの山……なんて子どもの頃はみんな「ウサギおいしい」と思ってるわけじゃないですか(笑)。

『21世紀の「男の子」の親たちへ 男子校の先生たちからのアドバイス』(書影をクリックするとアマゾンのサイトへジャンプします)

意味もわからず歌っている経験は、知らないうちに知性の幅を広げているはずなんです。おばあちゃんの昔話を聞くのは、絵本の読み聞かせに匹敵するか、それ以上の知的刺激になる。それを差し置いて、どこかのネイティブのお兄ちゃんが“Hello. How are you?”をやっても意味がない。

この時期だからこそ感じられる文化的な土台を広げることに、幼児期はもっと時間を費やすべきだと僕は思います。自然に親しむ、人と関わる、体を動かして遊ぶ。公園で木登りしてたらひざをすりむいちゃった、虫を潰したら手が汚れちゃった、そういう実体験をたくさんさせてあげてほしい。体験が豊富にあると、そこから知識欲が芽ばえてくる。

──感じるまま、自由になることが21世紀の男の子の道?

僕の中で自由の定義は、「おまえは何をしたいんだ」「おまえは何を感じてるんだ」「おまえにとって何が大事なんだ」とつねに問われている、あらゆる選択肢があって自分の価値観が問われ、選択しなければいけない状態です。とらわれない人生。自分の価値観に従って生きていることが自由であって、自分の人生に誇りが持てるはずです。それにはまず、親が自由にならないと。

中村 陽子 東洋経済 記者

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なかむら ようこ / Yoko Nakamura

『週刊東洋経済』編集部記者

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