「ジョーカー俳優」実は最初出演を渋ったワケ ホアキン・フェニックスの葛藤と役者魂

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印象に残るシーンのいくつかも、そんな中から生まれた。アーサーのダンスは、そのひとつだ。

「バスルームで彼がダンスをするシーンは、脚本になかったものだ。階段のシーンも、『頭の中で音楽が流れる中、踊るように階段を降りる』とあっただけ。それを読んでホアキンが、『どんな音楽?』と聞いてきて、僕らは話し合った。僕は彼に、アーサーは社会からのけものにされている、要領の悪い人だけれども、音楽への愛に満ちた人だとよく言った。そういうところから来ているんだよ」(フィリップス監督)

ダンスに関しては結果的に振付師の助けももらったが、「基本的には、多くの動きは事前に決められていたのではなく、現場で生まれている」と、フェニックスは語る。彼がピエロのメイクを自分でやろうと試みたこともあった。

だが、「自分でやったメイクを写真に撮ってトッドに見せたところ、『やはりプロのメイクさんにお願いしよう』と言われた」(フェニックス)そうだ。

「彼女は優秀だった。でも、何か違うとも感じたんだよね。自分でメイクの練習をしていたとき、顔を白塗りだけした段階で撮った写真があったんだが、僕はそこに何か不気味で、怖いものを感じていたんだ。それで、トッドに、1シーンだけこの状態でやってみたいと言ってみたのさ」(フェニックス)。それが、最後のほうに出てくる、彼のアパートでの衝撃的シーンだ。

唯一「他人任せにした」シーン

そんな彼も、あるひとつのことに関しては、他人任せにしている。スタントだ。ピエロ姿の彼がタクシーにぶつかったり、殴られたりするシーンは、すべてスタントマン。これらも最初は全部自分でやると意気込んでいたのだが、ゴミ箱のまわりで何かを蹴るシーンをやったところ、早速ケガをして、その日の彼の撮影は、そこでおしまいになってしまったのである。

「それ以後は、たとえ1ブロックだけ走るシーンでも、他人にやってもらったよ」と、恥ずかしそうにフェニックスは告白した。いくら完璧主義でも、人間は人間。それくらいの隙は、自分でも許してあげようではないか。

猿渡 由紀 L.A.在住映画ジャーナリスト

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さるわたり ゆき / Yuki Saruwatari

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒業。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場リポート記事、ハリウッド事情のコラムを、『シュプール』『ハーパース バザー日本版』『バイラ』『週刊SPA!』『Movie ぴあ』『キネマ旬報』のほか、雑誌や新聞、Yahoo、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。

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