船橋:第1次大戦後には、石橋湛山が東洋経済新報社社内に太平洋問題研究会を設置してアジア太平洋の秩序構想を提言したり、関東大震災後に後藤新平が東京市政調査会というシンクタンクを作って、防災都市、今でいうレジリエンス都市を構想したりと、萌芽的な動きはありましたが、定着はしませんでした。それはやはり、エコシステムの問題なのでしょうか。
宮田:そこは大きいと思います。
船橋:この対談のシリーズでも何度も話してきましたが、大統領制と2大政党制のアメリカでは、4年に1度、政策市場と、それを提供する政策スタッフの労働市場が生まれます。つまり、リボルビングドアが回り出すわけですが、しかも、解散総選挙というのがありませんから、4年間を見据えて、政策も、それぞれのキャリアも設計できます。これ、結構大きな要因だと思いますが、いかがですか。
宮田:4年に1度、大統領選挙という大きな政策市場が開き、そこに向けて準備をする、それがアメリカのシンクタンクのダイナミズムを生み出している要因の1つであることは間違いないと思います。予備選挙が始まる1年以上前から、水面下では、有力候補と見られる人々への接触が始まります。その大半はシンクタンクの研究員ですから、それを見ているとシンクタンクの存在感を改めて感じます。
国際政治の舞台
船橋:もう少し背後に分け入って、なぜアメリカのシンクタンクは強いのか考えてみたいと思います。強さの一つは、シンクタンク自身が、ある意味では国際政治の中のプレイヤー、あるいは、プレイヤーとまではいかないまでも、アクターとなっているところにあるのではないでしょうか。
ワシントンのシンクタンクは、まさに国際政治の舞台と化していますね。さまざまな国の首脳や高官が、メッセージを発信したり、影響力の行使を試みたりしようとするとき、シンクタンクに接触するのは日常的光景です。首脳がシンクタンクで重要な発表のスピーチをしたり、あるいは、ある特別な研究のためにファンディングを申し出たりします。各国政府ともありとあらゆる形で、アメリカのシンクタンクへの接近を試みています。また、そういう活動が、公共外交の1つともなっており、それが、またワシントンの有力シンクタンクの力になっている側面があります。
さらに、シンクタンク自体が、アメリカ政府の先回りをして諸外国と接触し、自らの政策や、あるいは政府の政策の実現のために動く場合もあります。それは、まさしく国際政治のプレイヤーということだと思いますが、どのようにご覧になられていますか。
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