「引きこもったまま出馬し落選」41歳男性の半生 「思い立ったら失敗しよう」くらいがいい
ですが、失敗の回数を増やさないと、成功もできない。失敗したときに、「失敗イコール何も考えてない人」ではなくて、「失敗イコール挑戦した人」みたいな見方になったら、みんなハッピーになれると思うんですけどね。
なので俺は、「思い立ったら失敗しよう」と思っています。「〇〇ができなかった」という減点主義よりも、「〇〇ができた」という加点主義でいきたい。
もちろん、それでダメージを受けるときもありますが、そのときはそのときで、しかたがないですが(笑)。
――ユニークな活動を多くしていると思うのですが、人生で一番苦しかったのは、いくつのときですか?
やっぱり不登校になったときでしょうか。小学校3年で不登校になり、親がむりやり学校に行かせようとしていた時期です。とくに父親は厳しかったです。
朝は自分の出勤時間が来るまで、俺の耳元でずっと目覚まし時計を鳴らしけてきました。会社から帰ってからも、俺を正座させて、「明日は学校に行きます」と言うまで寝かせませんでした。
あるときは、夜中に車で遠くまで連れて行かれ「通学しないと置き去りにするぞ」と言われたこともあります。8歳の子にとってそれは恐怖だから「行きます」と約束するしかない。
だけど朝になったら、やっぱり行けないので、父からは「嘘つき」と叱られる。地獄の日々でしたね。
それがなくなったのは、俺が目に見えて精神を病んだからでした。手洗いが続く強迫性障害や、幻覚の症状が出てからは父親も登校圧力をかけなくなりました。
死ぬしかない、そう思ってた
もうひとつきつかった時期は、30歳をすぎてから母親が亡くなったときです。家のなかで仲の悪い父親と二人きりになったということもあったし、年齢のこともあって精神的には追い詰められていました。
当時、俺は福祉作業所に通いながら、なんとか自分で働こうとしていました。だけど、うつ病やパニック障害もあって、全然、続けられない。
派遣の仕事もしたけど、労働環境も悪かったんです。人材派遣会社「グッドウィル」で働いてましたが俺には「バッドウィル」(笑)。
そもそも「30歳をすぎてひきこもりなら死ぬしかない」とさえ思っていたんです。10代のころの不登校なら、まだ巻き返せるけど「30歳でひきこもりは現実的に考えてまずいぞ」と。