こうして田澤さんは、いつしか、旅客のチェックインや案内を行う通常の業務はもとより、複雑な国際線の旅券の手配から、飛行機の遅延を縮め安全に運航する支援を行うコントローラー業務まで、地上職としてひととおりの業務ができる職場の“生き字引的存在”になっていた。
そして、30歳を過ぎると、長年、あこがれていたグループチームコーディネーター(GTC)に任命された。同職は、自身も10人程度の班員を束ねながら、国際グループ4班の責任者を兼務し、課の組織運営にかかわる重要な役目だ。
田澤さんは、およそ45人のグラウンドスタッフをリードする立場になった。
「GTCのあこがれの先輩を目標に頑張ってきました。自分の班を持ち、後輩を育てていくことが夢だったので、それがかなったことはすごくうれしかったですね」。
GTCの重要な仕事のひとつが、後輩の育成だ。日本のグランドスタッフの「おもてなし」は、国内外に評判が高いが、どの組織にもいるように、やりがいや方向性を見失いがちな人もいる。
田澤さんは、そんなスタッフ一人ひとりに声をかけ、「『どういう考えで仕事している?』など聞いて回ったり、訓練スケジュールを考えて、次のステップはコレだねと目的意識を持ってもらい、みんなのモチベーションを上げること」を欠かさなかった。後輩の不満や不安をすくい上げ、管理職者に相談するために、残業することもしょっちゅうだったという。
田澤さんにとって、後輩が成長していく姿を見るのは、何事にも代えがたいやりがいだったのだ。
何でも話せる頼れる先輩――。田澤さんは、そんなポジションを確立していた。
「寿退社が当然」を超えて
一方のプライベートでは、27歳のとき、故郷山形で友達の結婚式に参列した際に出会ったご主人と結婚したが、あこがれのGTCになるまで子どもを作るのは見送っていた。
「主人は私がGTCになりたい思いを理解してくれて、家事をできる範囲でしかやらないことも受け入れてくれました」
そして、仕事で目標のポジションを得た田澤さんは、もうひとつの念願だった子どもが欲しいと思うようになった。幸運にもすぐに妊娠し、2010年5月、希望どおり母になった。
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