名門校教師が危惧する「グローバル教育論」の罠 ビジネスマンの促成栽培を目指していないか

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「これからは英語が必要だ」

「ITリテラシーも必要だ」

「偏差値よりも思考力だ」

「ディスカッションやディベート能力がないとこれからのグローバル社会では生きていけない」

などと、大人たちは自分たちの未来予測に基づいて、もっともらしいことを言います。

しかしもしその未来予測が外れたら子どもたちが生きていけなくなるのだとしたら、それは本当の「生きる力」とはいえません。「生きる力」という言葉には、「どんな世の中になっても生きていけるための力」というニュアンスが込められているはずです。

つまり、「生きるためにこれとこれが必要だ」と教えてもらうことでは「生きる力」は身につきません。その場その場で自分が生きていくうえで必要なものを自分で見極めて、どうやったらそれを手にすることができるかを考え、そのための努力を続けることができる力こそが「生きる力」であるはずです。

ビビっている大人が子どもの「生きる力」をそぐ

さらに言えば、グローバルに活躍するということは、日本という足場を離れ、文化も価値観も生活様式も異なる人々とわたり合うということです。つまり、つねに「アウェイ」の状態で力を発揮しなければいけない。どんな状況にあっても、そのときその場にあるものでなんとかする覚悟と知恵と度胸がものをいいます。

そう考えると、「グローバル人材になるためには、あれとこれが必要だ」という発想自体、「グローバル人材的」ではないと私は考えます。

『21世紀の「男の子」の親たちへ』(祥伝社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

それなのに、いまの教育議論は、「子どもに何を教え授けるべきか」ばかりに終始しているように思います。それは、使うか使わないのかわからないアプリを片っ端からスマホにインストールするようなことです。それより大事なのは、将来どんなアプリでもすぐにインストールできるように、スマホそのものの性能を上げておく。すなわち自分の頭で考える力を磨いておくことでしょう。

急速な社会のグローバル化を前にして、「グローバル人材にならなければいけない」「もっと強力な生きる力が必要だ」と慌てふためいているのは、「自分たちの経験則がもう役に立たない」と感じている大人たちです。

でも、子どもたちにあれもこれもと教え込もうとするのは、子どもからしてみればありがた迷惑以外の何物でもありません。あれもこれもと与えすぎることは、逆に子どもたちの「生きる力」をそぐことになりかねません。

変化の激しい時代だからこそ、しっかり大地に根を張った、地味で泥臭い基本を大切にした教育の価値が見直されなければいけない。名門校の先生方は、そう口をそろえます。。

おおたとしまさ 教育ジャーナリスト

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Toshimasa Ota

「子どもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。今、子どもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。育児・教育をテーマに執筆・講演活動を行う。著書は『名門校とは何か?』『ルポ 塾歴社会』など80冊以上。著書一覧はこちら

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