「厳格なしつけ主義」が日本の親子を不幸にする 服装や頭髪指導をやめた校長の信念

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もし教育関係者全員が教育の本質を見つめていれば、手法にバリエーションがあったとしても到達点に大きな誤差は出ないはずです。その誤差が大きいならば、教育現場によって見ているところが違うのです。

「従順さ」のモノサシだけだと親は疲弊する

私はしつけが一切不要だと言いたいわけではありません。ただ、少なくとも教育方針において「従順さ」を最上位目的におくことは適切ではないと考えています。その理由は子どもの発達には特性があるからです。

たとえば自閉症は周囲の大人が比較的気づきやすい発達の特性です。

・こだわりが強い

・コミュニケーション(目を合わせるの)が苦手

・言葉が上手にしゃべれない

3つの条件が揃うと「自閉症」と診断されるわけですが、その子に対して「大人の言うことを聞きなさい!」と本気で叱りつける人は滅多にいないでしょう。一方で、言語能力は高いけど、やたらとこだわりが強くて、大人の言うことを聞いてくれない子の場合はどうでしょう。

「なんてわがままなんだろう。しつけでどうにかしないと」

そう思うかもしれません。でも実は、その子どもは自閉症と同じASD(自閉症スペクトラム)に分類されるアスペルガー症候群などである可能性もあるのです(言語能力は高くても、コミュニケーションが苦手でこだわりが強いのがアスペルガー症候群の特徴といわれます)。

もちろん発達に特性がある子なら何をしても許されるわけではありません。やはり世の中には絶対にやってはいけないことがあるわけですから、最低限はしっかり教えていく必要があります。ただ、単に厳しく接しているだけで「しつけの行き届いた理想的な子」になるかといったら、必ずしもそうではありません。

子どもに発達の特性があるなら、それに合わせた接し方がきっとあるはずです。それなのに、大人が従順さの物差ししか持ちあわせていないと、「大人の言うことを聞く子か、聞かない子か」の尺度だけで子どもを見てしまい、最終的に子どもも親も疲弊します。

日本の教育では「忍耐」「礼節」「協力」が重視される傾向があります。発達に特性のある子どもたちは、これらがみな苦手です。つまり日本の教育に馴染みにくい。すると、集団の和を乱し、自分勝手だと排除されやすくなるので注意が必要です。

本来、極端にしつけにこだわりすぎる必要はないのです。まず「従順さ」や「親の理想像」といった単一の定規で子どもを測ることをやめて、「いやー、うちの子は落ち着きがなくてさ。アハハ」と笑い飛ばしてしまう。それができるようになると、親も子どもも無駄に苦しむ必要がなくなります。

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