すでにデータもありますが、一般的に見れば「地方の大学を出たとしても、地元にあまりまともな就職先がないから東京の大学に来ている」のが現実でしょう。
ワタクシは大手商社で日本の大学生の採用担当をやり、その後は外資系証券会社でも新卒学生の採用に携わっていましたが、正直、一般的な日本の地方国立大学卒で、日本の大手商社や大手外資系証券会社に就職するのは、なかなか難しいと思われます。
若者のチャンスを阻害しているとしか思えない
断っておきますが、彼ら彼女たちがバカで無能なのではありません。決して大都市が絶対というわけではありませんが、今の日本の大部分の地方都市では、「AI vs.教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社刊)でも有名な新井紀子先生が重要視されている「読解力」と同様に、あまりにも「anywhere(どこでも)型の人間」とのコミュニケーションをする能力が備わりにくいのです。
これは、単に、日本の多くの地方では世界中を駆け巡っているようなビジネスマンとは話したこともないので、彼らと話す能力がないだけです。こういう人たちは、ある意味世界中どこでも生きていけるので、まさに「anywhere型」とわれわれの仲間では呼ぶことが多いのですが、まず彼らと会話ができない。
ましてや「対アメリカ人」となると、英語以前の問題で、自分で何を主張していいかもわからず途方に暮れる(求められるのは、その場で変幻自在に変わるグローバルテーマを扱う会話能力だ)ことになる。そういう生き方をしようと思えば、日本の多くの地方で育つこと自体がハンディキャップになってしまう可能性があるのです。
大学生をほとんど見たことのない、地方の高校生以下の若者に、「自分が大学生になった時のイメージをもって、立派な大人を目指せ」という方が不可能でしょう。ましてや、世界中からヘッドハントされながら年収3億円もらっている人なんて(お金だけが人生ではありませんが)、どんな人なのか?見なきゃ、目標にしようがありませんわね。実は日本にもそういう人がたくさんいるのに・・・ですよ。
このあたりの議論をすべてある意味ぶっ飛ばして「大都市圏の大学生の数を減らせ」って、逆に若者のチャンスを阻害しているとしか、ワタクシには思えませんけどね。それが本当の教育なんでしょうか? (本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
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