サントリーが「ラグランジュ」を再生できた理由 「神の雫」亜樹直×椎名敬一「極上ワイン鼎談」

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 その頃のラグランジュはお飲みになりましたか。

椎名 1960年代から1970年代のものはちょっと厳しい感じでした。凝縮感が感じられず、線が細いのです。でも、1950年代には光るものもありました。私が飲んだのは1959年のものでしたが、ストラクチャーがしっかりしていました。値段は当時ボルドーの最高級格付けの中では最も下の5級並みでしたが、テロワール(土を中心とした、土地の個性。ブドウの樹をとりまく環境)には強いポテンシャルがあることを実感しました。

 1級になると、もちろん丁寧に造っていることもありますが、少々悪い点が付いたものでも、飲むと非常に美味しいことがあります。

椎名 1級の外れ年はお買い得です(笑)。

しっかり熟成させてから飲むと美味しいですよね。これがテロワールの力なのでしょうね。

1990年に「骨格」、2005年ようやく出始めた再生の真価

椎名 畑を取得したのが1983年12月だったので、このビンテージは、以前のオーナーが醸造まで終えたところで、引き継ぎました。

この時点でわれわれが出来たことは「セカンドラベル」を造り、「ファーストラベル」に1番良いものを、セカンドラベルにはそれよりも少しだけ見劣りするものをというように、ワインを選りわけることでした。

1984年は残念ながらあまり良い出来ではありませんでしたが、1985年が当たり年。ここで階段を大きく一段上がったのですが、以前のオーナーが使っていた畑しか使えないので、上がったとはいえ1段程度でした。その次に大きく階段を登ったのが1990年で、この時は「プチ・ヴェルド」という品種のブドウを10%加えることで、ラグランジュの骨格が出来上がりました。

そして3歩目に大きく階段を登ったのが1996年、4歩目が2005年でした。

1985年が1歩目、1990年が2歩目。そして1996年産(右)が3歩目というように、ラグランジュは骨格を作りながら、着実に進化を遂げていった(撮影:梅谷秀司)

ちなみに2005年は、私たちが1985年、1986年に再生させた畑のブドウが樹齢20年に達し、そのブドウをようやくシャトーものに使えるようになったことが大きくて、2009年、2010年も非常に良い出来となりました。直近では、2016年がラグランジュにとってエポックメーキングのヴィンテージになったと感じています。もちろんこれがゴールとは思っていません。テロワールの限界まで、更なる高みを目指して努力を続けていくつもりです。

ゆう子 でも、そこまで荒れ放題になった畑を再生させるには、いろいろなご苦労もあったかと思います。

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