「ケインズの予言」の当たりとはずれの理由

「我々の孫たちの経済的可能性」から考える

ところが現実には経済的問題はなくなっていないし、日本の法定労働時間はいまでも1日8時間だ。1日3時間働けば生活ができるという世界は実現しそうにもない。

確かに、AI(人工知能)の発展によって機械が何でもやってしまうので人間がやる仕事はなくなる、という議論もある。だがAIの発展の恩恵に浴する人は、働かなくても所得が入り生活することができるようになるが、そうでない人は、働いて所得を得る場がなくなり、生活を支えることができなくなるという懸念がある。これはケインズが予想したような、少しの労働時間で誰もが生活の心配をしなくてよくなるという世界とはまったく異質なものだ。

未来のことはともかく、現在でも実質消費は1930年当時の6倍以上になっている。それでもケインズの予想が実現しそうな気配すらないのはなぜなのだろうか。いくつか原因が考えられるだろう。

「生活に必要なもの」の水準が高まった

第1に、所得の上昇に伴って、われわれが考える「生活に必要なもの」の水準も高まったことがあるだろう。人々が最低限と考える医療や公共サービスの水準は、現在では1930年当時に比べてはるかに高くなっている。

例えば、厚生労働省の資料では日本の水道普及率は1950年でも26.2%だったから、1930年には水道が利用できる人はごくわずかにすぎず、水道は最低限度の生活に不可欠なものとは考えられていなかったに違いない。しかし、今では上水道どころか下水道も完備しているのが当たり前だ。

将来も所得水準が上昇していくにしたがって、人々が「最低限度の生活」に求めるレベルは高まっていき、すべての人が最低限度の生活を送れるという姿は逃げ水のように達成できないかもしれない。

第2には、「最低限の生活」をしようと思ったとしても、「高級なもの」を購入せざるをえず、最低限度の生活をするコストが上昇してしまっていることだ。

物価統計では、例えば、機能の向上した分を控除して出すので、テレビの価格は大幅に低下しているが、だからといって昔売っていたようなテレビが非常に安い値段で買えるわけではない。テレビ番組を見ようとすると、アナログ式の白黒のブラウン管テレビではなく地デジ対応の薄型カラーテレビを買うしかない。テレビといえばカラーなのは当たり前で、カラーテレビという言葉自体ほとんど使われなくなってしまった。

パソコンの価格も大幅に低下したが、いちばん安い価格で購入できる機種の値段はそれほど低いわけではない。文章を書いたり電子メールを使ったりする簡単な機能だけのパソコンを購入しようと思ってもそのような機種はもう販売されておらず、必要以上に高性能のパソコンを購入するしかない。

欲しいわけではなくやむをえず購入した機能も、GDPや実質消費支出に計上されてしまうので、統計で見る消費やGDPの増加ほどには、生活水準が向上したように感じられないということもある。

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