ELTいっくんが23年間も芸能界で生き残るワケ バラエティで「笑われる人」でいい

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バラエティー番組に出るのは、最初はやっぱり緊張した。楽器を持たずにテレビに出ることへの猛烈な違和感とか心もとなさとか、心にわずかに残る「ミュージシャンとしての矜持」とか……。

その一方で、「面白いことを言わなくてはいけない」というプレッシャーはそんなになかった。それは求められていない、となんとなく知っていたからだ。

音楽畑の人間は全般にどことなく浮世離れしている。本人にとっては自然な言動も、ほかの人から見るとちぐはぐに見える。僕が歌番組でいじられたのも、そうした部分があったからだろう。だったら、変に気張らずに自分のままでいよう。そのうえでダメなら、再び呼ばれることはない。それならそれで仕方がない。そう思っていたら、無理にしゃべらなきゃ、みたいなストレスを感じずにすんだ。

なるようになれ、がツキを呼ぶ

2度とお呼びがかからなくても仕方ないや、という思いで臨んでいたバラエティーだったが、不思議とリピートされることになった。年末恒例のダウンタウンさんの番組「笑ってはいけない」は8回出演し、紅白の出演回数に並んだ。

最初にオファーをいただいたとき、会社からは「紅白に出ないんだから、出てよ~」といわれた。紅白の次に視聴率が高く、プロモーションにもなるから、という言葉に押され、「出オチでいいなら……出ます」と答えた。

が、実際にはもう、出オチじゃ許されない感じになっている。

あの番組の現場は実際のところ、胃が痛くなるような緊張感に満ちている。名だたる芸人さんが何十人も、それぞれの趣向を凝らす。芸人さんたちにとっては、あの番組こそが紅白のようなものだ。

でも僕は、そりゃ緊張はするけれど……やっぱり「なるようになれ」と思うのみ。

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結局、いちばん大きな関門は、最初に感じた「ギターを持たずにテレビに出る」ことだったのだ。それを超えれば、後はどうでもよくなる。どうでもいいは語弊があるかもしれないが、なんというか「ギターを持たないバージョンの僕の役割」を見つけた、という感じだ。

その役割とは、笑われ役。「笑わせる」は高等技術だが、「笑われる」なら僕もできる。

ELTでやってきたのは、人を楽しくしたり、癒したり、励ましたりすることだった。そういう人間がギターを持たずにできることはやっぱり、笑ってもらって元気になってもらうことではないか、と思えたのだ。

そういうわけで、これからも、呼ばれたら出る。僕は、必要とされたら、必要とされている形で、そこに居たい。

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