「私が悪い」と自分を責めてしまう罪悪感の正体 この世で一番許せないのは自分という人も
続けて、「タイプ5」の罪悪感の例を見てみましょう。友だちがあなたの誕生日に、ちょっとしたものをプレゼントしてくれました。
「覚えててくれたの? うれしい!」という気持ちが湧き上がる一方で、「なんか気を遣わせちゃって申し訳ない」「私のためにわざわざ買いに行く必要なんてないのに」などと、ふとその好意を否定してしまうような思いが湧き起こってくることはありませんか?
上司や先輩からあなたの働きぶりについておほめの言葉をいただきました。「ありがとうございます」と口では言ったものの、心の中では「いや、そんなわけない。私なんて迷惑ばかりかけているし」と否定的な思いが湧き上がってきたりします。
お店に入って友だちとご飯を食べていたら「お店からのプレゼントです!」とデザートプレートが運ばれてきました。友だちはキャーキャー喜んでいるのですが、なぜか自分は素直に喜べません。「こんないいことがあったら、この後悪いことが起きるんじゃないか?」と反射的に思ってしまったのです。
罪悪感は巧みに私たちの心の中に潜んでいる
うれしいことや楽しいことがあったのに、そんなときにふとその思いに水をぶっかけるような否定的な思いが湧き上がってくるとしたら、それもまた罪悪感の仕業と考えていいでしょう。
素直に喜べばいいのに、否定的になってしまう自分を嫌ってしまうかもしれませんし、そんな自分のことを「面倒くさいやつ」とラベリングしたくなるかもしれませんが、その必要はありません。罪悪感にとらわれているときは、日常のささいな瞬間に自分を否定するような思いが湧き上がってくるものなのです。
罪悪感という感情は、ほんとうに巧みに私たちの心の中に潜んでいて、事あるごとに顔をのぞかせます。しかも、1度や2度ではなく、日常的に、当たり前のように出てくるので、まるで自分が、とても性格の悪い人であったり、自分や他人の不幸を願っている嫌なやつであったり、自分の気持ちを素直に表現できない「面倒くさいやつ」であったりというふうに思わせるのです。
この罪悪感という感情は、つねに自分を攻撃し、しあわせにしないためにふるまうものですから、その罪悪感がどんどん積みあがっていくと、何に対しても「自分が悪い」という思いこみに至ります。なにかトラブルが起きたときに「あ、もしかして、私のせい?」と感じてしまうのはその一例ですし、もっと言えば、「今日雨が降っているのも私のせい」などと感じてしまうのです。
まるで自分のことを、疫病神のように扱い始めるんですね。そうすると、自分にとって大切なものほど、遠ざけるようになります。愛する人、大切な仲間、守りたい存在、かけがえのない居場所から自分を遠ざけようとしてしまいます。
罪悪感にとらわれると、世界でいちばんの悪人が、まるで自分自身であるかのように感じます。この世の中でいちばん許せないのは、自分自身です。つまり、「この世であなた以上に、あなたのことをゆるせない人はいません。あなた以上にあなたを罰している人はいないのです」ということなのです。
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