欧州車エンジニアとの対話に残る強烈な記憶 1980年代、彼は祖国から日本へとやってきた
1980年代の半ば頃だったかと思う。とても興味ある仕事を、ドイツのプレミアムカー・メーカーから依頼された。
「音振のエンジニアを東京に送るから、1週間ほど付き合ってほしい」との依頼だ。この依頼には、もちろん前段の話しがある。
話しとは、こういうこと。
日本に輸入された同メーカー最上位モデルの試乗リポートで、僕は音と振動……とくにこもり音について、そうとう厳しい指摘をした。
「スタイリングは気に入った。パフォーマンスにも高い点数を付ける。でも、僕がこのクルマを買うことは絶対ない。なぜなら音振、とくにこもり音が最悪だから。こんなクルマと日々を過ごすなどありえない……」といったことを書いたと記憶している。
前代未聞の海外メーカーからの依頼
その試乗リポートが雑誌に掲載されると、インポーターはすぐ翻訳してドイツ本社に送ったようだが、本社の反応は早く、ほとんど間を置かずに上記の依頼が届いた。
それまでにも、海外メーカーの仕事はやってはいた。マーケティング部門やコミュニケーション部門から、いろいろな相談を受けた。
日本向けの車両を、日本の道路事情に運転事情にできるだけ合わせるようにする。そんな依頼も少なくなかった。
基本的な変更はむろん無理だが、タイヤやサスペンションの一部変更だけでも、かなり大きな効果をもたらすことはある。
そうした仕事の作業のほとんどは、日本インポーターの担当者と行ったが、本社エンジニアが加わることもあった。
つまり、海外メーカーの仕事を受けるのは珍しいことではなく、日常的なことだった。