欧州車エンジニアとの対話に残る強烈な記憶 1980年代、彼は祖国から日本へとやってきた

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しかし、本社から正式な依頼がきて、本社からエンジニアが送られてくる。しかも、1週間まるまる空けてくれといったオファーは初めてだった。

食事の時間も含めて仕事の間は、本社が選んだドイツ語の通訳がずっと同行するとも伝えられた。

試験車は同社の最高級サルーンが指定された。僕が音の問題で厳しいリポートを書いたモデルだ。

エンジニアはドイツ人らしく大柄で、柔和な顔立ち、物腰の人で、すぐ打ち解けられた。通訳もすでに顔見知りで、冗談を言い合えるような関係の人だったので、気は楽だった。

技術部トップからの非常に丁寧な伝言を伝え聞くことから仕事はスタートした。こもり音だけではなく、音全般について、気づいたことはすべて伝えてほしいとのことだった。

ステアリングは僕が握り、助手席に座ったエンジニア(以後は“彼”と呼ばせていただく)の膝の上には大型のノートが。

具体的に、事細かに指摘していった

まずは、ドアとボンネットとトランク、パワーウィンドウとパワーシート、各種スイッチとレバー類、ふたもの等々の感触や作動音に関して、かなり細かいところまで印象と意見を伝えることから始めた。

例えば、ボンネットやトランクリッドの開閉感/開閉音、パワーウィンドウやパワーシートの作動感/モーター作動音が軽々しく、波打っていて安っぽい。スイッチ/レバー類の感触の調和がとれていない。ふたものの重み/厚み感や開閉感がプレミアムクラスにはふさわしくない……といったことを、具体的に、事細かく指摘していったのだ。

初めのうち、彼はかなり戸惑っていたようだった。おそらく、今まではまったく気にもとめなかったような点への指摘、意見が次々僕の口から出たからだろう。ただ黙って、ひたすらメモをとり続けていた。

そして、ランチのとき、彼は深く息をしながらこう言った。「岡崎さんはいつもこうして、細部の微妙な調和まで考えながらチェックしているんですね。初めは戸惑いました。でも、いろいろ伺っているうちに理解できるようになりました」と、はじめて笑顔を見せた。

以後は、僕が一方的に話すのではなく、彼のほうからも質問や意見が出るようになった。同じことをやっていても、一方通行より相互通行のほうが、ずっと理解度は高まり、視野も広がる。

いちばんの課題であるこもり音は、僕の基準では「かなりひどい」レベルだった。「エグゼクティブカーのセグメントに属するクルマなのになぜ」「ありえない」と僕は思った。

次ページあまり気にしていなかったが岡崎さんの指摘で目が醒めた
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