変わるワーキングマザー像
子どもを持つことが不安になる世の中を変えたい――という信念の下、寝る時間も惜しみ、自腹を切ってまでして、「東京ワーキングママ大学」の設立にまでこぎ着けた大洲さん。
3人の子どもを育て、本業であるPRの仕事をしながらの活動は、並大抵の苦労ではなかったはずだ。
「確かに、下の子が生まれたばかりのときは、子どもに授乳する間隔が空きすぎて、乳腺炎という症状で胸が痛くなり、仕事どころではなくなってしまったこともありました。解決策は、赤ちゃんにおっぱいを吸ってもらうことしかないので、取引先にお願いして、仕事の打ち合わせにも赤ちゃんを連れていっていましたね」
しかも、ご主人は勤務地が遠いうえ、長時間労働、なおかつ当直で夜勤もあるため、子育ての協力は得にくい。
また、大洲さんは、子どもを「第三者に預けっぱなしにすることには抵抗がある」と言う。そんな思いから、上のお子さんは幼稚園に通わせる。だから、下のお子さんの保育園の送り迎えと、上のお子さん2人の幼稚園の送り迎えをこなすだけでも重労働だ。
「基本、私が車で送迎していますが、どうしても仕事で行けないときは、母や地元の生協の『たすけあいの会』の方にお願いすることもあります。まさに、綱渡り生活ですね」
さらにつらかったのが、ワーキングマザーの支援活動に対して、家族の理解が得にくかったことだ。
「一応は理解をしようとはしているのだけど、私のあわただしさが度を越していて、ついていけなかったのだと思う(笑)。でも最近は、主人が『君のやっていることを理解したい』と、私たちが手掛けたイベントのパネルディスカッションに参加してくれるなど、とても感謝しています」
労苦を惜しまず、家族や仲間を巻き込んでまで続けてきたワーキングマザー支援活動だ。今後は、東京ワーキングママ大学を事業としても成功させたいと意気込みを語る。
「今までの『成功するワーキングマザー像』は、子育てを第三者に丸投げして、男性並みに働くパターンが多かったように思います。でも、そこまで無理をするのは前近代的だと思う。
最近は、会社も社会もようやく両立できる環境が整いつつあり、『普通のママ』でも復帰できるようになってきました。せっかくワーキングマザーに追い風が吹いているのですから、出産後も仕事を辞めずに、自分らしく働く。そんな人たちが増えるように、私自身、子育ても仕事もママ支援の活動も、何ひとつあきらめず、頑張って行きたいと思います」
仕事をしながら子育ても人任せにせず、家庭と職場以外の「サード・プレイス(第三の場所)」も確保する――。大洲さんは、何かのために何かを犠牲にすることのない、新たなワーキングマザーのロールモデル像を見せてくれる。
(撮影:今井康一、武山博道、片岡照博)
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