信長、家光、漱石にみる拒否された親の愛
親子の情愛は経済的な多寡で左右されるものでなく、愛情表現の器用不器用が影響するものでもありません(情は伝えるという手段よりは感じるものだから)。ならば我が子の資質や希望を鑑みずに、親の欲や希望を優先することが親の正しい愛情と勘違いしたり、いまだに理解できないのですが、子供に充分な愛情を抱けない親たちの存在が、ゆがんだ親子関係だったり、自信が持てない子供たちを作り出しているのでしょうか。
織田信長の母親は、信長の弟ばかりを溺愛し、信長を可愛がらなかったそうです。廃嫡にしようとさえ考えたほど、信長を憎んだとか。そのことと、伝えられる狂暴な性格・政治等との関係は私には詳しくはわかりませんが、人を信じる心が彼に養われなかったことと関係しているように思えてなりません。
春日の局に育てられた家光も局にばかり懐き、母親から愛されませんでした。母親は自ら育てた家光の弟を溺愛しました。育てる過程と方法がとても大切だということが想像できます。
夏目漱石は幼いころに養子に出され、実父母を祖父母として育ちました。養父母は「誰が実父母か言ってごらん?」と繰り返し漱石に問い、望まれている答えを知っている漱石は、養父母を実父母と繰り返し答えましたが、とても嫌だったそうです。彼らは何を漱石に買い与えても、「誰に買ってもらったの?」と問い、恩を着せることを忘れなかったそうです。
そんな養父母も後に離婚し漱石は実家へ。しかし実父は彼を愛することはなく、幼いころの嫌な記憶を漱石は鮮明に覚えています。これもまた、このことと後に彼が神経を病んだことの因果関係は私には知る由もありませんが、愛されて育った人がせずにすんだ葛藤や苦労の数々は、想像に難くありません。
親の無償の愛情は、子供の人生の羅針盤
何が何でも大学の入学に拘るのは必ずしも子供のためにならないというKさんのご指摘には、私も同意します。
愛情さえあれば何をしても許されるというものではなく、親の欲や価値観の押し付けから、親子関係がゆがんだり、子供がダメになる事例を私たちはたくさん見聞きしてきました。人生は縁と運とタイミング!(前に「縁と運」と申し上げましたが、香山リカさんがそれに「タイミング」をつけておられました。さすがですね)。
学力さえ磨けば人生がなんとかなるものではありません。せめて子供が親から愛されているという幸福感をもって、自信をもって自分の人生を切り開いていけるように、溢れる愛情に条件をつけず、慈しんで子供を育てたいものです。
もっともこのような愛情は他人から言われなくとも、生物なら親となったその瞬間から本能的に湧き出るもので、あちらこちらから「小さな親切大きなお世話、あなたなりとちゃんとやりなさい」という声が聞こえてきそうですが。
※ ミセス・パンプキンさんへの相談はこちら
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