千代田区のビル群にある90年前の旧宮邸の来歴 「赤坂プリンスクラシックハウス」を撮影

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「赤坂プリンスクラシックハウス」の内部を360度カメラで撮影しました(撮影:尾形文繁)
東京23区だけでも無数にある、名建築の数々。それらを360度カメラで撮影し、建築の持つストーリーとともに紹介する本連載。第14回の今回は、千代田区にある「赤坂プリンスクラッシックハウス」を訪れた。なお、外部配信先でお読みの場合、360度画像を閲覧できない場合があるので、その際は東洋経済オンライン内でお読みいただきたい。

かつての「赤坂プリンスホテル」、現在の「東京ガーデンテラス紀尾井町」の敷地の一画に、その館は建っている。

昭和5(1930)年築の瀟洒(しょうしゃ)な洋館は、李王家東京邸として建てられた宮様のお屋敷だ。都内に現存する戦前からの宮邸は、この李王家東京邸のほか、グランドプリンスホテル高輪内にある旧竹田宮邸、現在は東京都庭園美術館となっている旧朝香宮邸、そして広尾の聖心女子大学構内にある久邇宮邸の4軒。

独特の優雅さ、豪華さがある

これら宮様のお屋敷は、富豪や華族の邸宅などの洋館建築と比べると、独特の優雅さ、豪華さがある。戦前における宮家の存在は今日と比べて別格で、建物にかけられる予算も破格、ほとんどの建物の設計は宮内省内匠寮という当時でもっとも職能が高いとされた建築設計のエリート集団が担当した。

宮内省内匠寮は、戦前の皇居内の建物や赤坂離宮(現・迎賓館)などの設計も担当し、その技師たちは留学や海外視察などで最先端の西洋の邸宅や宮殿の設計デザインを学んでいた。

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築約90年となる李王家邸は、現在は「赤坂プリンスクラシックハウス」となり、館内はレストラン、バーやパーティールームなどとして一般利用できる施設となっている。

かつてこの館の主だった李王家とは、明治末に日本に併合され、日本の皇族体系に組み込まれた朝鮮の王家のこと。李王家創設時の韓国皇帝・純宗の世継ぎ・李垠(イウン)は日本に留学し、陸軍士官学校を卒業後、陸軍歩兵中尉となり、日本の宮家・梨本宮家の方子(まさこ)女王と結婚している。

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