「同棲」に対するスタンスで年齢がバレる? 過去50年の「日本の同棲観」の変遷を読み解く
「三畳一間の小さな下宿」:1960~70年代
婚活本を読むと、結婚前に同棲するのがいいのかどうか、今でも議論が分かれている。「独身脱出」を優先する立場は同棲すると幻想が崩れるからNG、他方、結婚後の「結婚生活」を重視する立場はむしろ結婚前のすり合わせをベターとする。結婚観の違いが同棲観にも反映しているわけだ。
しかし、これらの立場に共通しているのは結婚からバックキャストして同棲を捉えている点だ。よりよい結婚に結び付くかどうかで同棲の善しあしが決せられる。
かつてはそんなことはなかった。若者はもっと無鉄砲で恋愛の先に同棲を捉え、そこから先がむしろ隔絶していた。戦後日本の同棲について最も有名な歌はかぐや姫の「神田川」(1973年)だろう。
この時代には上村一夫のマンガ『同棲時代』も話題になり、評論家の四方田犬彦も「若いカップルの同棲がいたるところで目に付くことになった」と書いている(『歳月の鉛』)。私を含め知らない世代の読者のために記しておけば、この歌は神田川を見下ろす「三畳一間の小さな下宿」、当然風呂は付いていなくて銭湯へ通う、そんな同棲生活を懐かしむものだ。
このストーリーは、作詞の喜多條忠の学生時代の体験を基にしているというから、1947年生まれの喜多條が早稲田大学を中退するまでの60年代後半、1965年の日韓条約批准への反対運動から大学紛争へと学生運動が高揚していく時代の風景がモデルになっている。
紛争の時代。とくに日大なんかそうだったわけだけれど、私大の紛争の前提には学生数の爆発的増大があった。その多くはもちろん地方から上京してくる若者たちだ。彼らは安い下宿を借りて、働きながら大学へ通うか、もしくは通わずに喫茶店でキザに本を読む。もしくは喜多條のようにパチンコを打って、親からの仕送りをパーにする。紛争の時代は下宿の時代でもある。
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