
「私の情緒が不安定な頃は、岡さんに何度も電話をかけてしまいましたが、毎回穏やかに受け止めていただきました。人生で初めての体験でしたから、何かわからないことがあれば、すぐに聞ける人が近くにいるのは心強かったですね。お願いすれば、すぐに駆けつけてもらえるわけですし」
恭子は看取りを終えた後、自身のブログに1枚の画像と記事をアップした。同居を始めてから約1年半後、ちょうど認知症が始まった頃の義母と撮影したもので、からっとしたユーモアを感じさせる。
「人としての自我や執着がとれて、お義母さんはとてもかわいくなられたんです。まるで子どもみたいに『お腹が空いたぁ〜』と言われたりして……。当時のお義母さんの生きた証しを残したいと思いました」
今日1日をしっかり生きなきゃいけない

そう話す恭子は、長男のときに経験した自宅出産と、今回の看取りは似ていると思ったという。どちらも家族で取り囲んでいて、出産時はいのちが出てくるのを、看取りではいのちが逝くのを待っていたからだ。
「もちろん、人が生まれて死ぬのは当たり前のことです。でも看取りについて言えば、さっきまで息をしていた家族が本当に亡くなることに直面すると、自分も明日死ぬかもしれないから、今日1日をしっかりと生きなきゃいけないと、私は生まれて初めて痛感させられました」
恭子が手に入れた死生観だ。
多くの人はなかなか「明日死ぬかもしれない」と思って、今日1日を生きられない。恭子自身もそう実感することがあっただろう。しかし、頭ではわかっていても、そうできない苦味をかみしめられる人と、そうでない人の軌跡は大きく違ってくる。
日本看取り士会の柴田会長は小学6年生で、大人たちに交じって最愛の父親を自宅で看取っている。1976年までは過半数の日本人が自宅で肉親を看取り、子どもも大人もそれぞれに死生観を磨いていた。
(=文中敬称略=)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら