54歳、母に添い寝し看取った息子が達した境地 親の最期にいったい何をなすべきか

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「もう、そろそろだと思うよ」

恭子が生と死の共通点に気づいた数日後、直記が自宅からお店に電話をかけてきて短く、静かにそう言ったという。

「主人に心の準備ができたんだなと思いました。お義母さんに添い寝するようになった当初は、泣いているところを何度か見ていましたから。でも、お義母さんの容態が落ち着き、主人も冷静さを取り戻していました」

直記の心境には1つの変化が生まれていた。

「当初は息子として、母の死をしっかり見届けようという気持ちでした。ところが、母と向き合っているうちに、これは私自身が母の死を受け入れる覚悟を決めないと、ちゃんと見送れないぞと考えるようになりました。物言わぬ母が私にそう伝えようとしてくれている、そう感じたんです」

実は、直記は13年ほど前、柴田久美子(現・日本看取り士会会長)を山梨県甲府市に招き、講演会を開いていた。まだ一般社団法人になる前で、柴田が島根県の離島で高齢者たちを抱きしめて看取っていた頃だ。

看取り士とは、余命告知を受けた人の家族から依頼を受け、納棺までの時間を本人と家族に寄り添う仕事。家族には直記のように、老いた親の手足をさすったり抱きしめたりして、死への不安をやわらげることを勧める。

直記は昔、恭子とインド旅行に出かけている。その際、修道女マザー・テレサが運営する「死を待つ人々の家」(看取りの施設)に、ボランティアとして数日間滞在した。帰国後、柴田がマザーを目指して、高齢者を抱きしめて看取る施設を始めたことを知り、講演会に招いたのだ。

しかし、直記は母親の介護が始まり、やがて寝たきりになって実家で同居を始めてからも、柴田に連絡を取るのをためらっていた。

「母を家に連れて帰りたいので、お手伝いをお願いします」

直記が以前からの知人で、同じ山梨県甲府市に住む看取り士の岡亜佐子(54)に、意を決して電話したのは、母親が退院する2日前だった。

「看取りの主役は本人と家族」という考え方

看取り士の岡は入院中に1度と、母親が自宅に戻った日に訪問して、看取りの考え方と、基本的な作法を直記と恭子に丁寧に伝えた。

「以降、直記さんから1日に何度も、お母様の様子を伝える電話がかかってきました。当初はかなり不安なご様子でした。私も何かお手伝いしたいと思い、柴田会長に電話で、『(ご実家に)うかがったほうがよろしいでしょうか』と相談しましたが、会長は『待機お願いします』と言われたので、動けませんでした」

日本看取り士会の考え方は、看取りの主役は死が迫ったご本人とご家族。看取り士の仕事は、1人の死を前にして何もできない無力な自分と向き合い、そのうえで依頼者に寄り添うことだ。契約を結んだ後も依頼者からの要請がないと動けない。たとえ看取りであっても、だ。

「ですが、あの時点の私は、会長の真意を受け止め切れていませんでした。依頼者から『来てほしい』と言われるまでは、お母様とご家族で過ごされる時間。それを邪魔してはいけないという程度の理解でしたから」(岡)

次ページ直記から1本の動画が岡のスマホに届いた
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