「ほぼ仕事」教師が部活動に縛られる根深い事情 自由であるために制度化できない?

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――法律に「やりなさい」と書かれてないとは言え、部活動を当たり前のものとみなしている人は多いです。

部活動の始まりは明治期です。明治になり学校というものができて、外国からスポーツや西洋音楽が入ってきて、それを行う部活動が出てきました。こうした外国から入ってきたものをいいものだと思った学生たち自身が、本当の意味で自主的に行ったところから始まったんです。

明治から続く部活動がこれほどまでに広まったのには、3つのターニングポイントがあったと思っています。

戦後から現在における「部活動」の価値

1つ目は1945年の終戦。戦後、教員たちは民主主義的な国家を作るために、民主主義的な教育をしようとしたわけです。そうすると、明治期学生が“自分たちのやりたいことをする”ために自主的に始めた部活動は、民主主義的な価値があると位置付けられたんです。

2つ目は1964年の東京オリンピックです。スポーツ観戦を通してスポーツ好きが増えたという意味でもターニングポイントなのですが、オリンピックに向けて勝てる選手を育成する“選手中心主義”的な部活動になってしまったんです。「下手な奴は応援だけしてればいい」みたいな。

オリンピック後その反動で部活動は“平等主義”に舵を切っていきました。つまり、民主主義的な価値のある部活動は、うまい下手にかかわらずみんなに機会が提供されるべきだという考えが広まっていったんです。

なので、グラフを見てもらうとわかるんですが、1964年までは運動部活動への加入率が減少しているのに、その後増加しているんですね。こうして部活動は広まっていきました。

中澤さんの『運動部活動の戦後と現在 なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社)P96より。

3つ目は1980年代の校内暴力と管理主義です。生徒の“荒れ”が非常に問題になりました。授業で心を開かせようにも、そもそも荒れている生徒は授業に来ない。教員たちが授業以外でいい方法がないか探したとき、部活動は非常に魅力的なツールに見えたんです。

次ページ1970年代前半から部活動への評価は変わった
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