日本の組織では、力量があっても、新人はまずはいちばん下に位置付けられる。それも、この基準があるためである。また経営トップの若返りが主張されてもなかなか実現しないのも、このような評価基準によって、年配者が高いポジションに居座ることができるからである。
まずは自分が働いている会社の評価基準を知る
大相撲とサッカーを比べると、その評価基準はそうとう違っている。ザッケローニ監督が日本代表の選手を招集するときには、現在、力量があって、自分が構想する戦術にかなった選手が選ばれる。Jリーグの得点王や長くリーグでプレーした選手が自動的に選出されることはない。そのときにいちばん役立つ選手が選出される。
また、Jリーグの機構に残って仕事をする条件も、日本相撲協会のように過去の実績ではなく、リーグにどれだけ役に立つかで決められるだろう。
要は、Jリーグは「時価評価」なのである。このやり方が、世界標準と言えるかもしれない。その時点の機能発揮だけで判断されるならば、働かないオジサンは、立ち去るか、給与が実績分まで下がることを覚悟しなければならない。
ただ、世界標準だから無条件にいいとは、もちろん言えない。長い時間の中で作り上げられてきた評価基準は、それなりの理由を持っているから残っていると見るべきだろう。組織の中での一定のポジションがある種の安心感を生んだり、全員参加型の組織運営を可能にする源泉になっている面もあろう。また世界標準と言っても、流行のようなもので、今後は変動することもありうる。
元東京大学経済学部教授の岩井克人氏は、その著書『会社はこれからどうなるのか』(平凡社)の中で、日本における家族の構造が、江戸時代の商家にも、戦前の財閥グループにも、戦後の6大会社グループにも、影響を与えていることを述べている。
私は時々、古典落語を聞くが、そこに登場する旦那や、番頭、手代、丁稚などが、現代の会社員から離れた存在でないことに気づく。かつての「イエ」制度を継承している面があるのだ。
こうして考えてくると、世界標準かどうか、新しいかどうかで、すぐに評価基準の優劣を判断するのではなく、まずは「自分が働いている会社の評価基準は一体どうなっているのだろうか」と考えることから始めるべきであろう。
次回は、「働かないオジサン」のいる会社、いない会社について考えてみたい。
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