柴山:日本の黒澤明や三島由紀夫にしても、普通じゃないですよね。
中野:スティーブ・ジョブズみたいな奇人が起業して成功できるような国では、大統領はトランプみたいな誇大妄想狂がなるに決まっている。そこはコインの裏表で、「あれはどちらも同じ根っこから生えているものなんだ」という目を持つべきだと思いますね。
アメリカには政治家にしても起業家にしても、大きな妄想を持つ人にあえてレバレッジ(テコ)を利かせてやり、彼らの力を利用して世の中を変えていくというスタイルがある。
そもそも人間は妄想や想像、将来像に向かって動いていく生き物です。投資もそうですよね。妄想が魅力的なほど動員力が大きくなり、動員力が大きければその妄想が実現する。
妄想が実現してもそれが世の中が望んでいたものとうまく合わない場合もある。でも合う合わないは別にして、とにかく妄想を紡ぎ出して人を動員する力のない人間は、世界を変える力がないということなんです。
佐藤:妄想というと人聞きが悪いものの、要は思いどおりの現実をつくりあげようとすること。魅力がないはずはありません。20世紀のアメリカは、「物理的環境の支配に最も成功した狂気」と規定できます。宗教的幻想が、物質主義やテクノロジー志向と結び付いて、驚くべきパワーを生み出した。だからアメリカは20世紀の覇権国になったのです。
妄想力不足の日本
施:日本はアメリカと対照的な面がありますね。文化とか伝統とか、無意識的な部分でのまとまりは比較的強く、不景気が20年続いてもあまり文句を言わないで我慢する。一方で何かのファンタジーに対して別のファンタジーで対抗しようという部分は、どうにも弱い。
佐藤:保守と左翼の対立にしても、互いに相手をけなすばかりで、独自のファンタジーで勝負しようとしない。彼らが掲げる「あるべき日本」の姿は、ほぼ例外なく、陳腐でマンネリ化した代物にすぎません。国のあり方をめぐる認識枠組みをひっくり返し、人々をあっと言わせるような「妄想力」に欠けています。
施:ええ。アメリカにはファンタジーがありすぎるのかもしれませんが、現代日本には不足しているんじゃないかと思います。この本が批判している部分を反対に解釈すると、アメリカにはファンタジーを語って多くの人を動員する文化があり、実際にそれをやっている人が大勢いる。日本は意識的にファンタジーをつくり、持ち出さなくてもまとまれるけれども、妄想で人をまとめ、活気づけ方向づける力が、とくに今は弱い。だからグローバリズムのようなアメリカのファンタジーに取り込まれてしまう。
佐藤:もっとも戦後民主主義、ないし戦後日本型の平和主義は、少なくとも当初、ファンタジーとしてパワーがありました。自国の過去は全否定する、政府は「悪」と見なして信用しない、安全保障政策もぶん投げる。それで理想のユートピアが築けると構えたんですから。
施:ただその戦後民主主義というファンタジーも最近はもう賞味期限切れで、多くの人が陳腐だと感じつつ、ずるずる付き合っている感じですよね。
中野:今までの妄想は全部醒めて新しい妄想も出てこないから、「改革」だの「維新」だの「グローバル化」だのといった味のしなくなったガムをいつまでも噛み続けている。妄想が枯渇した、大変よろしくない状態です。
佐藤:新元号が発表されただけで、内閣支持率はまた10%ぐらい上がったそうですし、令和になってもこういう停滞感が続くおそれは強いと思います。
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