日本人がおよそ知らないアメリカ人の「頭の中」 多くが理性と現実を手放す中で残る希望と光
1962年生まれの私にとって、アメリカは思春期のころから「憧れの国」だった。
親近感が漠然とした疑問に変化したのは、ドナルド・トランプ大統領が登場してからだ。選挙期間中から感じていたのは「この男が大統領になったら大変なことになる」ということだった。そして、それが現実のものとなってからは、大きな違和感を抱くことにもなった。
当然ながら、違和感の根源は、自分の気に入らない相手を感情的に嫌い、自分に都合の悪い報道を「フェイク・ニュース」と断言するトランプの幼児性だ。
やがて1つのことに気づくことにもなった。アメリカ中西部の「ラスト・ベルト」に多いといわれるトランプ支持層の存在だ。彼らがいるからこそトランプは当選したわけだが、それは、かつての自分が憧れたアメリカのイメージとは大きくかけ離れたものだった。
だが、『ファンタジーランド: 狂気と幻想のアメリカ500年史』(カート・アンダーセン 著、山田美明・山田文 訳、東洋経済新報社)を読んでみた結果、納得したことがある。アメリカという国には、少年時代の自分には見えていなかった別の側面があるということだ。
火にかけられた鍋の中のカエル
タイトルにあるとおり、著者はここでアメリカという国を「ファンタジーランド」と表現している。アメリカ人は数世紀の間に少しずつ、そしてこの50年の間に急速に、あらゆるタイプの魔術的思考、なんでもありの相対主義、非現実的な信念に身を委ねていったというのだ。その結果、ファンタジーランドができあがってしまったということ。
しかも国民の大半が、あらゆる奇妙な思考がどれほど広範囲に広がっているのか気づいていないという。その状況を例えて言うなら、火にかけられた鍋の中のカエル。手遅れになるまで、その運命に気づかないということだが、こう聞かされただけでトランプの顔が頭に浮かんでしまうのは、あながち偶然ではあるまい。
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