MMTが指摘するように、財政赤字が減れば(=「政府貯蓄-政府投資」は増加)、他の部門の黒字が減る。政府債務がネットで減っていれば(=政府の純金融資産が増加)、どこか他の部門の純金融資産が減少しているはずだ。家計や企業がフローの収支悪化や純資産の減少を回避する行動(=支出の削減)をとると、景気が大きく落ち込んでしまったり、景気の悪化で財政赤字が期待したほどは減らなかったりということが起こってしまう。
筆者は、MMTがこの問題を提起しているのは正しいが、失業者の発生や、企業の投資の減少といった経済活動の縮小均衡を避けるために、財政再建をせずに財政を拡張させるべきだという、問題解決の方向性は間違っていると考える。財政再建を成功させるためには、歳出削減や増税で財政部門の収支を改善させる努力をするだけでなく、民間部門の経済構造も変える必要があるというのが正しい理解であろう。
財政危機を訴える際に、政府債務残高の上限として民間貯蓄残高が引き合いに出されることがよくある。しかし、部門別の資産・債務のバランスの合計がゼロという制約があるので、財政赤字分だけ民間部門は黒字になっているはずで、政府債務残高の増加分だけ民間貯蓄残高も増加している。海外部門がない場合(閉鎖経済)を考えると、政府の純債務残高と民間の純金融資産残高は常に同額になるはずなので、危機が起こる政府債務残高の目安としては機能しないはずだ。
筆者は、この点ではMMTの主張は正しいが、財政破綻ということの意味をもっと厳密に定義する必要があると考える。財政破綻は、①原理的に財政赤字をファイナンスできなくなる、②現行制度の下で財政赤字がファイナンスできなくなる、③原理的には可能だが別の問題が生じて赤字をファイナンスしないほうがマシになる、という3つのケースに分けられるだろう。
「インフレが昂進しない」という前提は危うい
MMTが自国通貨を持つ国は財政赤字がファイナンスできなくなることはないというのは、①のような財政破綻は起こらないということを言っているにすぎない。そして、②のような制約があるなら法律や制度を変えればよいと考えている。一方、財政当局や財政学者は現状の制度や法律を前提に、②のケースの財政破たんが起こると主張することが多いので、議論が噛み合わないのは当然だ。
ギリシャのように自国通貨を発行できない政府はともかく、自国の中央銀行と通貨を持つ国であれば、中央銀行に通貨を発行させて政府が支出を賄うことは原理的には可能だから、①のような財政破綻は確かに起こらないことになる。しかし、中央銀行による国債の直接引き受けを禁じている現行制度では財政赤字を出し続けると資金調達ができなくなって破綻する、②の危険があるのは明らかだ。しかし、重要な問題は、法や制度を改正したとしても、③のように財政赤字をファイナンスし続けることが不適当な場合があるということなのだ。
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