「追われる国」で金融政策が効かない根本理由 「誰もお金を使わない国」の経済政策を考える
「追う国」と「追われる国」
いまから約20年前、私は「バランスシート不況」を提唱し、以降、このバランスシート不況の理論をベースに「失われた20年」に関する分析を行ってきました。ところが、最近の日本経済を見ていると、それ以外にも民間部門がお金を借りなくなる理由があることが見えてきました。そのキーワードが「追われる国」です。
ここ数年の資金循環統計を見ると、企業部門はもう全体として債務の最小化、つまり借金返済の行動をとっていないことがわかります。きちんとお金を借りる企業も出てきています。
これだけ金利が低くなり、企業のバランスシートもきれいになると、銀行はお金を貸したくて仕方ありません。それなのに企業部門全体で見ると、お金を借りようとはしていません。これは経済学の教科書では想定していなかったことです。
少し話は変わりますが、2000年代に入ると、世界を席巻した日本の大手家電メーカーが次々と韓国や台湾のメーカーに追い抜かれていくようになります。このような状況を目にしたとき「あれ、これはどこかで見たシーンだな」と思ったのです。
私が日本からアメリカに移ったのは1967年です。その頃のアメリカは「黄金の60年代」で絶頂期にありました。ところが、その10年後になると、アメリカ企業が次々と日本企業に追いつかれ、追い抜かれてしまったのです。そして、そこには1つの共通した法則があるに違いないと考えました。それが「追う国」と「追われる国」という考え方です。
「追われる国」というのは、自国で設備投資をするより(追ってくる)新興国でそれをやるほうが資本のリターンが高くなっている国のことです。
「追われる国」になると、これまでの経済政策で正しいと考えられていたことがすべてひっくり返ってしまいます。例えば、現在の日本ではアベノミクスによって2%のインフレを実現しようとしていますが、もし日本だけが2%インフレになり、他の国がゼロインフレのままだとどうなるでしょうか。
日本企業は多くの新興国を含む全世界に工場を展開しています。日本国内だけがコスト高になれば、当然、企業は海外へ生産を移管するでしょう。そうなれば、景気は上向くどころか逆に下向きになる可能性が大きくなります。このように、「追われる国」となった現在の日本は、経済の黄金期だった1970年代と発想を逆転させなければならないのです。
なぜ、「追われる国」になると経済政策も大きく変わらなければならないのでしょうか。それは、従来の経済学のほとんどの理論は、民間の設備投資需要が旺盛な経済の「黄金時代」を前提に作り上げられたものだからです。
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