29歳のパラ卓球選手が伝えたい「諦めないこと」 パラメッセンジャーになった金子和也選手

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実際にスピーチを聞いた中学生の男の子は「パラ卓球の選手たちは、健常者と同じようにプレーできることがわかって感動した」と感想を話し、同じく受講した女の子は「自分も高い目標を持って頑張っていきたい」とコメント。

金子選手が“本当に伝えたかったこと”、その思いは、間違いなく生徒たちの心に届いていただろう。

講演後の実技で、神奈川大学附属中の学生たちと卓球を楽しむ金子和也選手(左)(筆者撮影)

講演後には、神奈川大学附属中卓球部の練習場所に移動し、実技を行った。部員一人ひとりと打ち合い、競技を通して卓球の魅力を伝えていった。

やはり根っからの“卓球小僧”だ。

卓球台に立ち、がむしゃらにラケットでボールを打っている姿がよく似合う。その無邪気な表情からは、講演を無事に終えた開放感もあったが、それ以上に「子どもたちと卓球をすることの楽しさ」を感じているように思えた。

金子選手のパラスポーツメッセンジャーとしての挑戦は、まだまだ続いていく。いずれは「今日以外のテーマを2〜3個はつくり、自分1人で講演を開けるようにしていきたい」と話す。

また、来年に向けては「生徒の前で『東京パラリンピックに出ます』と宣言してしまったので(笑)、そのプレッシャーを力に変えて、必ず出ます」と断言。続けて「メダルを獲得し、ここ(神奈川大学附属中)に戻ってきたいですね(笑)」と凱旋を誓った。

障がいのある方への理解促進にもつながる

パラスポーツメッセンジャーの輩出は、競技の認知度を高めるとともに、障がいのある方への理解促進、そして不自由な身体でも競技に挑戦する姿を届けることで「他者の意識や行動に影響を与えること」にもつながっていくだろう。

彼らの生き様は、それほど勇ましく、人の心を動かす力があるのだから。

佐藤 主祥 フリーライター

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さとう かずよし / Kazuyoshi Sato

1991年、宮城県生まれ。新聞の専売社員、マスコミ系の専門学校を経て、独立。スポーツや新しい働き方を中心に、取材・執筆活動を続けている。学生時代は卓球部に6年間所属し、団体戦・個人戦で県大会出場を経験。野球を観ながらお酒を飲むことが何よりの喜び。

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